大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語:대한민국、漢字:大韓民國)、通称韓国(かんこく)は、東アジアにある朝鮮半島南部を主な領土とし、その周囲の島礁を支配地としている国。憲法上は朝鮮半島全土(現地呼称は韓半島)を領土としている。首都はソウル特別市。
冷戦下で誕生した分断国家のひとつである。
韓国は朝鮮半島において軍事境界線(38度線)を挟み朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治区域と対峙する分断国家であり、朝鮮民族国家として の統一を目指している。 日本海を挟んで日本と、黄海を挟んで中華人民共和国(中国)と国境を接する。韓国人口のほぼ半数である人口約2,000万人がソウル都市圏(ソウル・仁川 周辺)に集中している。
朝鮮半島は1910年の朝鮮併合より大日本帝国の統治下に置かれていた。1945年9月2日、第二次世界大戦における日本の敗戦により、朝鮮半島 は、直後に北緯38度以北にソ連軍が進駐し、南半分は上陸してきた連合国軍(実質的には米軍)の軍政下に入り、呂運亨らによって朝鮮人民共和国が建国され たが、連合国に否定され、半島は38度線を境に南北二つの体制に移っていった。南朝鮮では連合国の軍政に対して朝鮮人が蜂起する大邱10月事件が起きた。 李王家の帰還を許さず、1948年5月10日に多くの反対を押し切って南単独で総選挙を強行、8月15日、李承晩を初代大統領とする韓国の樹立が宣言され 朝鮮半島南側だけの反共主義国家が成立した[1]。また北側の共産主義勢力により済州島人民委員会が設立され対立が激化しつつあった済州島で済州島4・3 事件を引き起こし韓国領とした。
1950年からの朝鮮戦争ではほぼ全土が戦場となり保導連盟事件等の民間人に対する大虐殺もあったことから国土が荒廃し世界最貧国となる[2]。 1952年に国際法に反して李承晩ラインを宣言し竹島を取り込むと竹島近海の日本巡視船、漁船に対して銃撃を繰り返し日本漁民数千人を抑留[3]。 李承晩大統領の独裁に反対する四月革命によって12年間の独裁が終結したが混乱が続き、軍部によるクーデターにより、朴正煕、全斗煥、盧泰愚と軍部出身大 統領による開発独裁がなされ、国際協調政策を採り、日韓基本条約を締結して日本から得た対日民間請求権補償(南北朝鮮人個人へ補償金)や経済支援等を道路 やダム・工場の建設などインフラ整備や企業等へ投資するとともに「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」のスローガンのもとでベトナムに出兵し[4]、アメ リカから大規模な経済支援および日韓基本条約による日本からの3億ドル相当の無償経済協力金のほか3億ドル以上の民間借款を得ることによって漢江の奇跡と 呼ばれる高度成長を遂げた。建国以来、共産主義者や反政府主義者に対する極度の思想弾圧を経て、1987年の自由選挙、1993年には文民政権の実現など 次第に民主的な体制に変化しつつある。
北朝鮮とは建国以来敵対関係にあり、朝鮮戦争以降も小規模な軍事衝突がたびたび発生しており、常に緊張状態にある。金大中および盧武鉉政権による北 朝鮮への融和的な太陽政策により表面的には友好関係が築かれつつあったが、李明博政権の発足により、再び緊張状態が始まった。北朝鮮による核開発問題や拉 致(拉北)問題など未解決の問題がいくつかある。また北朝鮮との経済格差や人権問題などもあり、南北統一の実現には未だ多くのハードルが残されている。北 朝鮮との対立を理由に、次期大統領候補が核武装を主張している[5]。
アメリカ合衆国とも基本的に友好関係にあるが、金大中および盧武鉉政権下でおこなわれた過剰な太陽政策は、西側諸国から批判された。
日本との間には日韓基本条約によって歴史問題解決と経済支援が行われたが竹島占拠問題が依然として残されており、新たに慰安婦問題が提起され年々大 きな問題となってきている[6]。一方で日本は韓国通貨危機では経済支援を行い[7]、今後の韓国経済危機に際しては日韓で700億ドルの通貨スワップ協 定を締結した[8]。また、李明博大統領による竹島上陸と天皇謝罪要求が行われるなど対外姿勢が強硬になりつつある[9]。
情報技術産業、自動車産業などを中心に世界で15番目(2008年)の経済力を持つが、中国の経済発展や内需不振などにより国内経済は低迷している。また国民の間の深刻な経済的格差が社会問題となっている。
国名
大韓民国/韓国
各種表記
ハングル: 대한민국/한국
漢字: 大韓民國/韓國
発音: テハンミングク/ハングク
日本語読み: だいかんみんこく/かんこく
ローマ字: Daehan Minguk
英語: Republic of Korea/South Korea
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朝鮮語での正式名称は、ハングル表記:대한민국、漢字表記:大韓民國。読みは、テハンミングクKo-Daehan_Minguk.ogg 発音(ヘルプ / リンク)。略称は、한국(韓國、ハングク)。
1948年憲法制定国会の憲法起草委員会において「高麗民国」「韓民国」なども国号候補に挙がっていた。委員会が決しかねていたある日、臨時政府側 の池青天(チチョンチョン)将軍が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、国号は「大韓民国」、年号は「檀紀」に即決せよ、さもないと割腹自殺すると 頑張ったので、その主張どおりに決まったという。[10]
日本語表記は、大韓民国。通称は、韓国。北朝鮮政府は、南朝鮮という呼称を使用している。日本においても、南韓・南朝鮮あるいは南鮮と呼ぶ場合があ る。その場合、主に韓国に対し批判的・否定的なインターネットユーザーの間で用いられるが、英語では”South Korea”(新聞の記事では、South Koreaを縮めて、”S. Korea”とも)または”Republic of Korea”(通称”R.O.K.” )であるため、決して間違っているとはいえない。
「韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名。日本と清との間で取り交わした下 関条約の後、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)が清から独立するにあたって国号を大韓帝国に改めたことで正式の国名となった。1910年の大日本帝国 による朝鮮併合後、この地域の呼称は朝鮮に戻された。のち、1919年に李承晩(のちの初代大統領)・金九ら独立運動家が国外につくった大韓民国臨時政府 は、亡命政権の名称として「大韓」の名を用いると同時に、初めて共和制国家としての名を採用した。
韓国において「朝鮮」という呼称は、北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史 的にあまり芳しくないと考えられている李氏朝鮮を想起させることを背景として、忌避される傾向がある。「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉が日常で使われる ことはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」などと呼ばれる。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」などと呼称するのが一般的である。北朝鮮 は「北韓」、朝鮮人参も「高麗人参」という[11]。ただし、ホテル名や学校名、朝鮮日報のような新聞社名など、ごく少数の固有名詞では、日本統治時代か らの歴史のあるものや伝統的な語感を生かそうとしている名称に「朝鮮」が使用されることもある。
歴史
朝鮮歷史
朝鮮の歴史
櫛目文土器時代
無文土器時代
韓 辰国 古朝鮮 檀君朝鮮
箕子朝鮮
衛氏朝鮮
原三国 三韓 濊 沃
沮 漢四郡 高句麗
三国 伽倻 百済 高句麗
新羅
唐熊津、安東
南北国 統一
新羅 安東 渤海
後三国 新羅 後百済 後高句麗 渤海
高麗 双城 東寧府 耽羅
李氏朝鮮
大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
大韓民国 朝鮮民主主義人民共和国
朝鮮の君主一覧 大韓民国指定国宝 中国朝鮮関係史
Portal:朝鮮
詳細は「朝鮮の歴史」および「韓国現代史年表」を参照
韓国は、第二次世界大戦が終結し日本の統治からアメリカ軍政統治を経て独立をした。韓国成立後の歴史は、憲法による政体の相違によって、7つの時代に区分される。
1945年 – 1948年:アメリカ軍政庁期(非独立)
1948年:済州島4・3事件。
1948年 – 1960年:第一共和国期
1948年8月15日:アメリカの承認を得て李承晩が韓国の独立を宣言。 1948年:済州島4・3事件継続。 1948年:麗水・順天事件。 1949年:聞慶虐殺事件。 1949年:対馬領有宣言[12]。 1950年:朝鮮戦争勃発。 1950年:保導連盟事件。 1952年1月18日:李承晩ライン宣言により竹島を取り込む[3]。 1953年:竹島近海の日本巡視船への銃撃開始[3]。 1953年:朝鮮戦争休戦。 1953年:米韓相互防衛条約締結。 1954年:韓国沿岸警備隊竹島派遣公表[3]。 1955年8月18日:日本との経済関係断絶[13]。 1959年12月4日:新潟日赤センター爆破未遂事件。 1960年4月27日:四月革命によって李承晩が失脚し、第二共和国が始まる。
1960年 – 1961年:第二共和国期
朴正熙によるクーデターによって国家再建最高会議が設置される。
1961年 – 1963年:国家再建最高会議(軍政)期
朴正熙が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
1963年 – 1972年:第三共和国期
1964年 - 1973年:ベトナムに出兵する。 1965年1月:竹島密約。 1965年6月22日:日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)締結。日本との国交を回復する。 1972年10月17日:十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
1972年 – 1979年:第四共和国期
1979年10月26日:朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる。
1979年 – 1987年:第五共和国期
1980年5月18日 - 5月27日:光州事件。 1987年6月29日:盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
1987年 – 現在:第六共和国期
1991年:湾岸戦争に参戦。 2002年:アフガニスタンに出兵する[14]。 2003年:イラクに出兵する。 2010年3月26日:韓国哨戒艦沈没事件。 2010年11月23日:延坪島砲撃事件。
政治
詳細は「第六共和国 (大韓民国)」を参照
内政
国会議事堂
第18代大統領の朴槿恵
建国以来、韓国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日に最初の憲法を採択して以来、9回の改憲を 経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲 法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。
現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めている他、大統 領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上最も民主主義的な体制を規定した内容である。第六共和国憲法に基づいた第六共和国は、1988年2月 25日に盧泰愚が大統領に就任して以来、今日まで持続している。1990年代以降には地方自治選挙もあるが、それ以前の広域自治体の首長は政府の任命、基 礎自治体の首長は知事や特別市長、直轄市長による任命であった。現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。
南北関係・統一問題
詳細は「朝鮮統一問題」を参照
建国以来、北朝鮮とは「朝鮮の正統な国家」としての立場を巡り、敵対的な関係が続いた。1950年に勃発した朝鮮戦争で朝鮮半島の分断は決定的となった。その後、韓国では民主化時代まで強い反共主義が取られ、北朝鮮のスパイや共産主義者に対して厳重な取締が行われた。
韓国政府は1万人を超える北派工作員を北朝鮮に送り込み多くの犠牲を出している[15]。北朝鮮も様々な手法で韓国に対する対南工作を行っており、 青瓦台襲撃未遂事件、ラングーン事件、文世光事件で韓国大統領の暗殺を謀ったり、イ・スンボク事件や江陵浸透事件等で韓国への侵入事件を引き起こしてい る。また、大韓航空機YS-11ハイジャック事件等で韓国国民の拉致事件を引き起こしており、大韓航空機爆破事件では韓国国民を標的とした無差別テロ事件 を引き起こしている。また陸上の軍事境界線や海上の北方限界線をめぐっては、南北分断以降、ポプラ事件、第1延坪海戦、第2延坪海戦、大青海戦、天安沈没 事件、延坪島砲撃事件等の武力衝突が断続的に発生している。
このような中、統一に向けた努力が試みられているが、実を結ぶには至っていない。1980年には、北朝鮮から高麗民主連邦共和国創設と、低い段階で の連邦制を提示された。冷戦終結以後は雪解けが進み、韓国と北朝鮮の国連同時加盟や共同声明に結実した。韓国は金大中と盧武鉉政権で太陽政策をとり、金大 中政権下では初の南北首脳会談が実現するなど韓国国内に和解ムードが広がっていた。しかし、北朝鮮核問題、北朝鮮によるミサイル発射実験、北朝鮮による日 本人拉致問題が発覚し、北朝鮮包囲網が国際的に形成されたこともあり、李明博政権以降は太陽政策を転換した。ハンナラ党の鄭夢準議員や宋永仙議員は北朝鮮 への対抗上、韓国は核武装を進めるべきと述べている[16][17]。
国際関係
詳細は「大韓民国の国際関係」を参照
日本との関係
「日朝関係史」、「日本海呼称問題」、および「親日派」も参照
韓国は日本が唯一朝鮮半島の正統国家として承認している国であり、隣国であるだけでなく、かつては日本の一部であったという歴史的背景もあり、政 治・経済・文化などあらゆる分野で比較的緊密な関係にある。一方で、歴史的経緯や政治・教育などの誘導により韓国民における反日感情は著しく高い。
特に朝鮮併合から第二次世界大戦(大東亜戦争)までの日本の統治に対して朝鮮半島の近代化などの日本の功績を度外視した否定的な意見は多く、盧武鉉 政権になってから日本統治時代の「親日派」の子孫を排除・抑圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属 に関する特別法)が施行されている。これらの法律は法の不遡及の原則に反するとの指摘があり(法の不遡及#韓国法)、このような法律が施行されることで自 国民を政治的に反日派へ誘導し日韓関係に対し思想や言論などの自由を失わせている。
公然と戦前・戦中の日本(韓国や北朝鮮では「日帝」と呼ばれる)について肯定的な発言をおこなう人物は激しく非難され、出国拒否、発言の撤回などの制裁を受けている。
「李栄薫」、「金完燮」、「趙英男」、および「韓昇助」も参照
韓国側では李承晩・金九ら右派民族主義者を中心として建国された当初から現在に至るまで、朝鮮併合と、それに伴う同化政策に屈辱的な感情を抱いてお り、戦前の大日本帝国の朝鮮併合案に異論を唱え朝鮮国家の樹立に尽力していた伊藤博文を暗殺した安重根を英雄視するなど、根強い反日感情がある。
「反日感情」、「反日教育」、および「特定アジア」も参照
連合軍占領期と韓国建国後
第二次世界大戦が終結した後、日本の一部としての立場から、連合国軍の一国であるアメリカ軍を中心とした統治を経て独立をした。
1948年の韓国建国期に起こった済州島4・3事件では、韓国政府の弾圧から逃れるために済州島民が日本に移入することとなった[18]。
1950年に勃発した朝鮮戦争では、連合軍占領下にあった日本は、韓国を助けるために海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加 させ、開戦からの半年間だけでも56名が命を落としていることが確認されている[19]。一方、韓国政府は犯罪者や密入国の韓国人の強制送還の大半を拒ん だため、日本政府は抑留された日本人の返還と引き換えに韓国人の密入国者・犯罪者の送還を諦め[20]、日本国内で釈放した。1959年には在日朝鮮人の 帰還事業を阻止する目的で在日米軍立川飛行場経由で工作員を日本に送り込み、新潟日赤センター爆破未遂事件を起こしている。
日本が自国領土とする竹島(韓国名は独島:독도)を、韓国が自国の領土と主張して武力占拠、日本海上に一方的に李承晩ラインを設定し、この線を越え て操業する日本漁船を拿捕し乗員を抑留・殺害してきた。この時代には、第一大邦丸事件のように、多数の日本人が韓国人によって殺害された。1965年に国 交が回復するまでに、韓国によって、日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷され、3929人が抑留されることとなった[21]。
国交樹立後
李承晩政権期は国交断絶状態であったが、朴正煕(高木正雄)政権が成立して両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題 が最も紛糾した。韓国による対日請求権の主張に対して日本側は、日本統治時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で 52.5億ドル[22])を主張することで韓国側に対抗した。
朴正煕大統領は日本に対して中国の核兵器を脅威に挙げ、韓国の安全保障のため沖縄へ核兵器の配備を増強するよう要請している[23]。
1965年、日韓基本条約とともに締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定にもとづいて、 日本が朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助することによって、日韓間の両国間及び国民 間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていることが確認された[24]。しかし、韓国政府や韓国メディアは国民に積極的に周知を行わなかった ため、日本政府への新たな補償を求める訴えや抗議活動がなされ続けていたが、2009年8月14日にソウル行政裁判所による情報公開によって韓国人の個別 補償は日本政府ではなく韓国政府に求めなければならないことが韓国民にも明らかにされている[25]。なお、韓国はその資金をインフラの整備に充て、戦時 徴兵補償金は死亡者一人あたり30万ウォン(約2.24万円)であった[26]。
1997年のアジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由 主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの経済通と呼ばれた金鍾泌であった。IMF支援の 際、日本は韓国に対する緊急支援のうち最大の百億ドルの準備を行った[27][28][29]。
1999年には新日韓漁業協定が発効し日韓暫定水域が設定された。これにより竹島周辺海域も日本漁船が操業できる海域に設定されたが、暫定水域は日 本側に大きく食い込む形で設定されたため、日本の漁業は大きなダメージを受けている。たとえば新協定の発効以降、暫定水域での韓国漁船による乱獲とゴース トフィッシングと事実上の占拠が続いており、韓国漁船は資源の保全状況が比較的良好な日本のEEZにまで進出して違法操業を行っている。これに対して日本 側は官民を上げて、協定改定による暫定水域での漁法に対する法的拘束力の実現や是正、取り締りの強化を要請しているが、韓国側はこれを無視し続けている。
21世紀
駐日韓国大使館
2003年に発足した盧武鉉政権は、当初「歴史問題に言及しない」と発言するなど、両国関係の改善が期待されたが、国内においては日帝強占下反民族 行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定するなど、一貫して反日的な態度を取り矛盾を伴う二枚舌な政策を行 う。盧武鉉政権は日本時代の親日派問題の清算として、「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」及び「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別 法」を制定し、反民族行為認定者の子孫の土地や財産を国が事実上没収する人権蹂躙とも取れる法を制定し、実際に「親日派」10人の子孫が所有する約13億 6000万円相当の土地を没収する[30]など韓国民主化以前の反共主義さながらの反日主義で上記特別法適用を開始している。
両国の関係は、竹島問題、韓国の日本の国連常任理事国入りを目指した動きへの反対運動、靖国神社や歴史教科書に対する内政干渉問題もあり悪化した。 民間交流のあり方も一様ではなく、韓流ブームも影響して民間交流は活発化しているかに見える一方で、2004年から2005年にかけては日本に対する抗議 デモの影響により、韓国側が交流行事をキャンセルする事態がいくつか発生した。
2006年に韓国政府は親日反民族行為者財産調査委員会を設置し、2010年までに親日反民族行為者の子孫の資産約180億円を没収した[31]。
2008年の韓国通貨危機では日本は韓国と300億ドルの無謀とも思える通貨スワップの協定を締結した[32]。2008年7月21日、韓国国会議員50名によって対馬島返還要求決議案が韓国国会に提出された。
2000年代以降、韓国は官民をあげて、日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める情報宣伝工作活動を世界各国で行っており[33][34][35] [36][37]、その結果、世界各国の議会で対日謝罪要求決議が可決され[38][33]、米国の公共施設には韓国人によって当事国であるアメリカ軍慰 安婦[39]や韓国軍慰安婦[40]ではなく、第三国である日本軍の慰安婦を対象とした追慕碑の設置が行われる事態となっている[41][42]。同時 に、韓国は官民をあげて世界各国で「竹島は韓国の独島である」「日本海呼称は東海呼称が正しい」「韓国が日本に文化を伝えてあげた(一部韓国起源説も含 む)」という宣伝工作活動も行っており[43][44][45]、韓国政府が日本の国際的地位を失墜させることを目的とした『ディスカウントジャパン運 動』を行っているVANK等の民間団体の宣伝工作活動を強力に後援していることも助力して、1999年時点で3%しかなかった世界の主要機関・地図制作会 社・出版社の日本海/東海併記の世界地図が、13年後の2012年時点では30%にまで増加している[46]。日本政府は、このような竹島問題や日本海呼 称問題などの外交案件に関わる韓国側の宣伝工作活動に対しては抗議を行っている[47][48]。また、韓国政府は政府見解に反し日本軍慰安婦が自発的な 売春婦であったことを公に発する国民に対しては検挙するなどして言論統制を行っており[49]、慰安婦の自発的売春や、日本の朝鮮半島統治による恩恵の存 在、竹島に対する日本の領有権を主張をしているブログや掲示板などの「親日賞賛サイト」の記述を、放送通信審議委員会の指示の下で強制的に削除したり接続 を遮断している[50]。
日本と韓国の間では、文化財についても問題となっている。韓国政府は、日本にある朝鮮半島から流出した文化財の「返還」を日本政府や民間機関に求め ている。これらの文化財は売買や寄贈、所有権の移転等の合法的な手段によって日本に持ち込まれたものや、朝鮮併合以前に由来したものがほとんどであること から、韓国に引き渡す場合は「返還」ではなく「寄贈」となるのだが、韓国政府や韓国マスコミは「略奪文化財」なので「返還」が正しいと主張している。そし て、菅内閣はこれに迎合する形で日韓図書協定を結び、1200冊あまりの図書文化財の事実上の「返還」を談話で決定した[51]。
また、韓国では小中華思想や韓民族優越主義の観点から「日本文化のほとんどが日本人が朝鮮半島から盗み出したもの」という韓国起源説が蔓延してお り、「日本に略奪された韓国文化財と文化を取り戻しにいく」と言う名目で、韓国人によって日本にある様々な文化財が組織的・計画的に韓国に盗み出され [52][53][54][55][56]、日本文化が剽窃される事例が相次いでいる[57]。特に日本人が正当に入手した高麗仏画が盗難の標的にされ、 このうち長崎県壱岐市安国寺から盗まれた「高麗版大般若経(重文)」は大韓民国指定国宝284号に指定され、兵庫県高砂市鶴林寺から盗まれた「阿弥陀三尊 像(重文)」は韓国の寺に寄付されている。対馬市の観音寺からは、長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像[58]」が盗み出され韓国に持ち込まれたが、韓 国地裁は観音寺返還を事実上拒否する判決を下した[59]。韓国政府は日本の外務省からの度重なる文化財の返還要請にも関わらず、文化財不法輸出入等禁止 条約を無視し続け、盗難文化財の日本への返還を拒否し続けている。このような状況がありながら、菅内閣が在韓日本文化財については完全に無視したまま朝鮮 半島由来の文化財の「返還」を決定したため、野党から批判された。
日本では韓国ドラマの放送は禁止されていないが、韓国はテレビ地上放送での日本の番組を禁止している[60]。
2010年のバンクーバーオリンピックの際にはニューヨーク・タイムズで韓国の日本に対する被害者意識が独立後半世紀以上経過してもスポーツでの日 韓のライバル関係に影響が続いていると報道され[61]、数日後の3月1日にキム・ヨナなどの発言などが発端となり2ちゃんねるに対して韓国から大規模な サイバーテロが発生した[62]。
2010年の韓国哨戒艦沈没事件では日本政府は韓国を強力に支持した[63][64]。
2011年には、韓国の市民団体が駐韓日本大使館正面に13歳の少女慰安婦と称する像を建立し[65]、訪日した李明博大統領が野田佳彦首相に対し、日本国が韓国の求める誠意を示さない限りさらなる銅像の建立がなされるとする強要を行った[66]。
2012年6月、日韓間で結ばれる予定だった軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結が、締結1時間前になって突然韓国側からキャンセルされ た。 同年8月、李明博大統領が竹島に上陸し、天皇への謝罪要求を行うと、日韓関係は一気に悪化した。 同年12月、 韓国政府は東シナ海での韓国の大陸棚を同国沿岸から200カイリ(約370キロ)を越えた沖縄トラフ付近まで、大陸棚を拡張することを求める大陸棚境界画 定案を国連の大陸棚限界委員会に提出した[67]
2013年1月、韓国は日韓間で締結した犯罪人引渡し条約を無視して、靖国神社に放火した刑事犯の中国人の日本への引渡しを拒否して、「政治犯」と して中国に送還した。これに対して内閣総理大臣・安倍晋三は抗議声明を発表した[68]。同年3月11日、韓国は日本政府主催の東日本大震災二周年追悼式 を中国と共に欠席した[69]。
近年、韓国側が行っている全米各地への慰安婦像の建立、軍事情報包括保護協定締結の突然のキャンセル、日韓犯罪人引き渡し協定を無視しての中国人靖 国神社放火犯の引渡し拒否、対馬の盗難仏像の返還拒否、韓国三大紙中央日報の東日本大震災時の「日本沈没」報道や「原爆は神の懲罰」コラム、大統領の竹島 上陸と天皇謝罪要求など、韓国側の反日的な動きが活発になっているが、この原因として、中国の国力の増大と日本の国力の低下により、韓国が伝統的に持つ 「従中卑日」の小中華思想が強くなって先祖返りしていることが原因であると専門家から分析されている[70]。またこれを裏づける証言として、竹島に上陸 した李明博が日本の国力が落ちたことに言及している[71]。
経済的関係
経済面において韓国は、日本との関係が深い。韓国から日本への電子部品や工作機械などの輸出も増大している。韓国の対外輸出の増加に伴い、日本から の部品輸入や日本への特許使用権料の支払いも増加しており、戦後一貫して韓国の対日貿易は赤字が続いている。 2007年度には対日貿易赤字が過去最高の289億ドル(約3兆2000億円)に達した[72]。 原因として、韓国は自国で賄えない技術、部品、素材の日本への依存度が極めて高い上、その加工技術、信頼性は日本製品に比べて著しく劣ることから、韓国製 品の日本輸出が難しいという構造的問題があり[73]、「韓国が世界貿易で稼いでも、その半分以上を日本へ引き渡している構図である」[74]と指摘され ている。対日輸入の金額自体は増加しているが、輸入に占める割合は2005年には18. 5%、2006年は16. 8%、全体的に減少傾向にであり、また輸出でも同様の現象が起こっている。
しかし、対日貿易赤字は日本の政策における為替変動が問題であるとして、2013年2月のロシアモスクワにおいてのG20では、「円安は日本政府の 意図的政策によるもの」として問題提起[75]、続いて同年4月米国ワシントンでのG20においても「日本の量的緩和により輸出競争力に打撃との懸念」と して声明を発表、日本に対し名指しで言及した[76]。
李承晩政権時代には外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に、1955年8月~翌年1月と1959年6月~翌年4月の2度に渡り通商 断交を宣言したことがあるが、2回とも韓国側の要請で1年以内に通商再開をしている。2003年に両国首脳は自由貿易協定 (FTA) 締結を目指すことで合意したが、交渉は難航している。
2011年3月以降、日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国のはえ縄漁船が違法行為を繰り返していることが問題となっている[8]。
米国との関係
第二次世界大戦後、東西冷戦体制が形成されるなかで、右派を中心とする韓国が成立した。1948年11月20日、国会で米軍の無期限駐留要請が決議 されたように、韓国の成立と、朝鮮戦争での韓国の防衛には、アメリカ合衆国(米国)を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年の米韓相互防衛 条約締結によって韓国は米国の同盟国となった。
冷戦期には、韓国は軍事的、経済的に米国へ依存していたが、アメリカからの援助が減額されるようになった。1961年にクーデターにより軍事政権を 設立した韓国はベトナム出兵の承認をアメリカに求めたが認められなかった。ケネディ大統領が暗殺されジョンソン政権になると韓国軍のベトナムへの出兵が認 められアメリカに次ぐ大部隊を送り込み民間人を含む多くにベトナム人を殺戮した。[4]。ベトナム出兵によりアメリカからの経済援助も増額され、戦争特需 によって三星・現代などの財閥が形成された[4]。米国は韓国が導入した外資40億ドルの内およそ20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本 からは約11億ドル、西独などの西欧諸国からは約10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった技術者・軍人・建設者・用役軍納などの貿易外特需(7億 4千万ドル)や軍事援助(60年代後半の五年間で17億ドル)も、韓国の高度成長を支えた[77]。こうして韓国は、ベトナム参戦を契機に急成長を遂げて いく(漢江の奇跡)[78]。また、韓国人の米国への移住が許可され、在米韓国人は200万人に達している。
1990年以降の東西冷戦体制の崩壊や韓国経済の躍進は、この構図を転換する要因となった。韓国はソビエト連邦、中華人民共和国、ベトナムと次々に 国交を樹立し、これらの国々に対する経済投資も拡大している。1998年の金大中政権成立後は太陽政策によって北朝鮮との関係も金泳三政権期に比べて改善 された。一方、1999年の老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両に韓国人女子中学生が轢き殺された事件によって米軍に 対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めた頃とは異なってきているた め、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。特に2006年に起きた北朝鮮の「核実験」で は北朝鮮との宥和政策を推進する余り、親北反米政策を取ったため米国との関係は悪化した。
2008年に成立した李明博政権は従来の親米路線に方針を転換したため今後の対米関係も改善されると見込まれていた。しかし4月、BSE問題に端を 発する米国産牛肉の輸入をめぐり反発する野党、市民と政権の対立が激化しており、今後も米国との良好な関係が維持できるのか不透明な状態が続いている。
アメリカとは固い絆を築いており、アメリカ軍への慰安婦[79][80]として数十年に渡って提供された女性たちが謝罪と補償を求めているが [81][82][83]、日本を相手とした場合とは異なり、韓国政府は女性たちを支援しないこととしており[81][84]、韓国人とアメリカ人によっ てアメリカ各地の公共施設に建立が進められている慰安婦追慕碑にはアメリカ軍慰安婦や韓国軍慰安婦は対象外としている[42][41]。一方で、日本軍慰 安婦を非難することには共同歩調をとっている[33]。
中華人民共和国との関係
中国の韓国に対する歴史的な宗主国 – 属国関係や中国の韓国に対する歴史的・文化的影響ゆえに、韓国を中国領土、もしくは中国の植民地と見なす報道や記述が世界各国で存在する。
詳細は「朝鮮半島を中国とみなす記述」を参照
国交樹立
1951年、中国人民義勇軍が朝鮮戦争に参戦し、一時はソウルを占領したことにより、韓国と中華人民共和国の関係は長らく敵対的なものとなった。韓 国は中華人民共和国と敵対する中華民国と親交を深めた。しかし1979年の中華人民共和国の対外経済開放政策や1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因とし て、韓国の対中政策は転換した。人口が多く市場として有望で、安価な労働力の提供が可能な中華人民共和国との国交樹立を模索する産業界からの要請もあり、 盧泰愚大統領は1992年8月24日に、中華人民共和国との国交を正常化、中華民国とは断交した。
経済的関係
これ以降、韓国では対中投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中華人民共和国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれ を上回り、投資額は国家としては第1位となっている[85]。とくに山東省青島、遼寧省大連、吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積してい る。また中華人民共和国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。
投資額が国家として1位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は04年の62億5000万ドルから、07年には1~11月段階で32億3000万ドル と3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては2008年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる 労働契約法や現地トラブルも重なり「中華人民共和国離れ」が加速している[86]。
また、WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。
軍事的脅威
将来朝鮮半島が統一された場合、中華人民共和国と国境を接する可能性がある。中国人民解放軍は、現段階では軍隊の規模は韓国軍よりも大きく、装備の更新を進めている。
ソビエト連邦・ロシアとの関係
「ソビエト連邦の外交関係」も参照
1945年の第二次世界大戦終結で、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として米軍の南部とソビエト連邦軍の北部に分断占領された。1948年に アメリカ合衆国主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同年8月15日には南部単独で 韓国が成立、追って9月9日にはソ連軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が北部のみで成立したため、 韓国は建国当初からソ連と敵対関係になった。
ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国家の建設に成功し、朝鮮戦争では北朝鮮軍の南侵を支持したが、国際連合安全保障理事会におけ る欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたもの の、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で北朝鮮や中華人民共和国による軍事作戦を支えた。その後のベトナム戦争では、アメリカの要請に応じてベトナムに出兵し た韓国軍が北ベトナムを通じてソ連の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。この東西冷戦の激しい時期では韓国とソ連の関 係は絶たれていた。歴代の韓国の政権は反共主義を唱え、北朝鮮の背後にいるソ連や中国を強く警戒していた。金日成の個人独裁が強化された北朝鮮で親ソビエ ト派が一掃されても、ソビエト連邦は北朝鮮を朝鮮半島唯一の正統政権と認め、韓国とは全く外交交渉を行わなかった。
全斗煥
1981年、ソウルが1988年のソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソビエト連邦を含む全ての国を安全に招待する義務を 負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソビエト連邦領空を侵犯した後に撃墜 された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。
これが変化したのは、1985年に登場したソビエト連邦のゴルバチョフ政権が新思考外交による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年に成 立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソビエト連邦や中国との緊張緩和を目指す北方外交を提唱した結果、ソウルオリンピックはソビエト連邦や東欧諸国の参加 を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソビエト連邦は国交を樹立した。1991 年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に韓国は北朝鮮と同時に国連加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソビエト 連邦がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソビエト連邦国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次世界大戦前にヨシフ・スター リンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソビエト連邦国籍の朝鮮人(高麗人と称される)との交流が開始された。
1991年12月にソビエト連邦が崩壊してロシア連邦やその他の共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続い た。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより [87])。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアは社会主義体制を放棄した 現在でも北朝鮮との友好関係を維持している事から、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。
また、中央アジアで新たに独立したカザフスタンやウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人への朝鮮語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。
その他
2004年に、過去において韓国がウラン濃縮など核兵器開発の研究を行っていた事実が発覚し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けている。
2005年には、同国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射性物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射性物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。
国家機関
国防部と軍
板門店の韓国軍憲兵。視線を読まれないようにサングラスを常備している。
詳細は「大韓民国国防部」および「大韓民国国軍」を参照
大統領が陸・海・空軍の最高司令官であり、大統領、国防部長官、合同参謀本部議長のもとに陸海空軍本部が所属する。2011年の国防予算は約31兆 4千億ウォン、兵力は陸軍約52万、海軍約6.8万人(海兵隊2.8万人含む)、空軍約6.5万人である。26ヶ月から30ヶ月の徴兵制と志願兵制を併用 しており、全ての男性には兵役義務があるが、近視等の身体的問題やその年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。政治家の息子や有名俳優やス ポーツ選手などの中には徴兵逃れをしている者もおり、度々報道されている。
韓国軍の主たる国防対象は軍事境界線を挟んで対峙する北朝鮮であり、大半の陸上戦力を向けている。朝鮮戦争以来、米韓相互防衛条約に基づいた米韓同 盟によりアメリカ軍と緊密な繋がりがあり、しばしば共同軍事演習を実施している。協定により平時の作戦統制権は韓国軍が単独行使するが、有事の際の戦時作 戦統制権は2015年12月1日まで米軍と共同行使するため米韓連合司令部がおかれている[88]。陸軍の2008年4月に行われた米韓首脳会談におい て、在韓米軍を2万8,500人体制で維持することが決定されている。
また、韓国軍は国防対象を日本へも向けている。日本から韓国への策源地(敵地)攻撃能力が皆無なのとは対照的に、韓国国内から日本のほぼ全域を射程 とする射程1500kmの玄武-3巡航ミサイルシリーズや、射程180km~500kmの玄武-1・玄武-2弾道ミサイルシリーズやATACMS弾道ミサ イル、イージスシステムを搭載し巡航ミサイルの発射が可能な世宗大王級駆逐艦の配備をするなど、日本本土をも攻撃可能な兵器の増強をしている。また、新造 する強襲揚陸艦に竹島の韓国名である「独島」と名づけたり、最新鋭機のF-15Kに空軍参謀総長が自ら乗り込んで、日本に対して竹島の実効支配を見せ付け るために竹島上空を飛行するなどしている。さらに政府要人や軍幹部が相次いで公然と日本に軍事的に対抗する意思を示しており[89]、盧武鉉大統領時代に はアメリカ政府に対して「日本を仮想敵国にするよう」正式に要請している[90]。また伊藤博文を暗殺したテロリストの名を冠した潜水艦安重根や文禄・慶 長の役で豊臣軍と戦った武将の名を冠した李舜臣級駆逐艦を保有し、日本に対する海軍艦艇の数的劣勢を補うために、日本本土と至近の済州島に建設中の海軍基 地に独島級揚陸艦と最新鋭の214型潜水艦を配備する予定であるなど、日本に対する軍事的対抗心を露にしている。2013年2月、李明博大統領は韓国国内 から核武装論が出ていることについて、「愛国的で、高く評価する」、「北朝鮮と中国への警告になり、間違っているとばかり言えない」と述べた[91]。
情報機関
大韓民国国家情報院 (National Intelligence Service:NIS) - 大韓民国中央情報部 (KCIA)、国家安全企画部 (ANSP) から改称 国軍情報司令部 (Defense Intelligence Command:DIC ) 国軍機務司令部 (Defense Security Command:DSC) - 国軍保安司令部から改称
警察
大韓民国の警察官
詳細は「大韓民国の警察」を参照
地理
大韓民国の地形図
韓国は朝鮮半島全域を領土と主張し、そのうちの南北軍事境界線(38度線)以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は、実際には北朝鮮政府が統治しているが、韓国では、地域を指す表現としての「北韓:북한 プッカン、ほっかん」が用いられている。
西には黄海、東には日本海に面し、朝鮮海峡(対馬海峡の西水道)を隔てて釜山と対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は98480km²で、 これは北海道と四国を合わせた程度あるいは九州の約2.7倍(九州は36700km²)である。国土は古期造山帯が支配的である。
地震は九州から伝わるものを除きほとんどないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり戸建より人気がある。活火山も全く存在しない(済州島、鬱陵島は火山島だが活動していない)が少数の温泉はある。
日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在する他、1990年代以降になって日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称をめぐって日本政府と韓国政府が対立する等、いくつかの問題がある(参考:日本海呼称問題、李承晩ライン)。
建国以降も日本統治時代の植林政策を受け継ぎ、1970年代から数えて国内に100億本(1日あたり約68万本、1秒あたり8本)もの木を植林してきた山林大国であることを誇る[92][93]。
韓国の範囲
最北端 - 江原道高城郡 最南端 - 馬羅島(済州特別自治道西帰浦市) 最西端 - 白翎島(ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡) 最東端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 竹島(独島) 最東端(日本政府、北朝鮮政府などが主張) - 竹嶼
気候
ケッペンの気候区分によると、ソウル、春川、堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤 気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の 平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。冬は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である[94]。例えばソウルは 新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われる と、ソウルでも最低気温が-10~-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山は名古 屋、京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、東京より平均気温が2, 3度低い。全体的に、日本の北関東から東北地方や北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。
冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国一の豪雪地帯である鬱陵島の他、過去に1mを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸 の江陵、東海、 束草や内陸の平昌郡(大関嶺)など江原道を除けば降雪量は少なく、東日本・西日本の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル 周辺地域の過去最深積雪でさえ30㎝程と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず2月になれば三寒四温となりだいぶ暖かくなり、4月に入ると桜が開花す る。
済州島は九州北部の福岡県と同緯度にあり、韓国では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国で は最高峰である漢拏山(標高1950m)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、済州市の1月の平均気温は5~6度と東京などとほぼ同じ寒さである (体感温度はさらに低い)。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県や宮崎県北部の気温に匹敵する。
夏は半島部においては日本よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少なく、また熱帯夜になる事は殆どないため、エアコンが無くても寝苦しいということは殆どない。
近年は中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。
大韓民国各地の平年値(統計期間:1981年 – 2010年、出典:大韓民国気象庁) 平年値
(月単位) 北西部沿岸 北部内陸 北部高地 ソウル都市圏 北東部沿岸
江華 鉄原 春川 原州 楊平 堤川 忠州 清州 平昌郡
大関嶺
太白 ソウル 水原 仁川 利川 天安 束草 江陵
気候区分 Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Cfa Dfb Dwb Cwa Cwa Cwa Dwa Cfa Cfa Cfa
平均
気温
(℃) 最暖月 24.5
(8月) 23.8
(8月) 24.6
(8月) 24.8
(8月) 25.0
(8月) 23.8
(8月) 24.9
(8月) 25.8
(8月) 19.1
(7,8月) 21.0
(8月) 25.7
(8月) 25.6
(8月) 25.2
(8月) 24.8
(8月) 25.1
(8月) 23.7
(8月) 24.6
(8月)
最寒月 -3.8
(1月) -5.5
(1月) -4.6
(1月) -4.3
(1月) -3.4
(1月) -5.2
(1月) -4.2
(1月) -2.4
(1月) -7.7
(1月) -4.8
(1月) -2.4
(1月) -2.9
(1月) -2.1
(1月) -3.1
(1月) -2.9
(1月) -0.3
(1月) 0.4
(1月)
降水量
(mm) 最多月 358.2
(7月) 400.9
(7月) 383.8
(7月) 362.2
(7月) 429.4
(7月) 373.5
(7月) 293.5
(7月) 285.1
(8月) 420.9
(8月) 287.3
(7月) 394.7
(7月) 351.1
(7月) 319.6
(7月) 370.2
(7月) 298.3
(7月) 293.0
(8月) 298.9
(8月)
最少月 17.7
(1月) 20.6
(1月) 20.3
(1月) 22.0
(1月) 16.6
(12月) 23.0
(12月) 21.1
(12月) 25.3
(12月) 36.8
(12月) 19.2
(12月) 20.8
(1月) 21.8
(12月) 19.3
(12月) 16.3
(12月) 23.4
(1月) 38.2
(12月) 38.3
(12月)
平年値
(月単位) 中西部沿岸 中部内陸 鬱陵島 南東部沿岸 南部内陸 南部沿岸 済州島
瑞山 保寧 群山 大田 全州 南原 安東 大邱 鬱陵 浦項 蔚山 光州 密陽 木浦 釜山 統営 昌原
馬山
済州 西帰浦
気候区分 Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cwa Cfa Cwa Cwa Cwa Cfa Cfa
平均
気温
(℃) 最暖月 25.1
(8月) 25.5
(8月) 25.7
(8月) 25.6
(8月) 26.2
(8月) 25.2
(8月) 24.8
(8月) 26.4
(8月) 23.6
(8月) 25.7
(8月) 25.9
(8月) 26.2
(8月) 25.8
(8月) 26.1
(8月) 25.9
(8月) 26.1
(8月) 26.5
(8月) 26.8
(8月) 27.1
(8月)
最寒月 -2.0
(1月) -0.8
(1月) -0.4
(1月) -1.0
(1月) -0.5
(1月) -1.4
(1月) -2.2
(1月) 0.6
(1月) 1.4
(1月) 1.8
(1月) 2.0
(1月) 0.6
(1月) 0.0
(1月) 1.7
(1月) 3.2
(1月) 3.1
(1月) 2.8
(1月) 5.7
(1月) 6.8
(1月)
降水量
(mm) 最多月 295.9
(8月) 297.1
(8月) 263.1
(8月) 333.9
(7月) 299.6
(7月) 346.1
(8月) 244.3
(7月) 235.9
(8月) 170.7
(9月) 227.4
(8月) 240.3
(8月) 308.9
(7月) 269.5
(7月) 236.7
(7月) 316.9
(7月) 313.5
(7月) 299.0
(8月) 262.5
(8月) 309.8
(7月)
最少月 26.6
(2月) 28.1
(1月) 29.3
(12月) 25.9
(12月) 31.1
(12月) 25.4
(12月) 16.6
(12月) 15.3
(12月) 72.2
(3月) 25.7
(12月) 23.0
(12月) 33.5
(12月) 16.4
(12月) 29.3
(12月) 22.8
(12月) 21.1
(12月) 22.0
(12月) 47.7
(12月) 45.1
(12月)
最暖月22度未満・・・薄水色 最寒月-3度未満(=亜寒帯(D)の条件)・・・薄水色、水色、青色
行政区域
大韓民国の行政区分
詳細は「大韓民国の地方行政区画」を参照
特別市(Teukbyeol-si、トゥクピョルシ)
1:ソウル特別市(ソウルとくべつし)
広域市(Gwangyeok-si、クァンヨクシ)
2:釜山広域市(プサンこういきし) 3:大邱広域市(テグこういきし) 4:仁川広域市(インチョンこういきし) 5:光州広域市(クァンジュこういきし) 6:大田広域市(テジョンこういきし) 7:蔚山広域市(ウルサンこういきし)
特別自治市(Teukbyeol-jachisi、トゥクピョルヂャチシ)
#:世宗特別自治市(セジョンとくべつじちし)
道(Do、ト)
8:京畿道(キョンギどう) 9:江原道(カンウォンどう) 10:忠清北道(チュンチョンブクどう) 11:忠清南道(チュンチョンナムどう) 12:全羅北道(チョルラブクどう) 13:全羅南道(チョルラナムどう) 14:慶尚北道(キョンサンブクどう) 15:慶尚南道(キョンサンナムどう)
特別自治道(Teukbyeol-jachido、トゥクピョルヂャチド)
16:済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)
経済
詳細は「大韓民国の経済」を参照
経済史概要
韓国の経済は、朝鮮戦争以降大きく立ち後れていたが、ベトナム戦争参戦と日本との日韓基本条約を締結し対日民間請求権補償金や経済・技術援助を契機 として所謂漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を遂げ、新興工業経済地域 (NIEs) の一つに数えられた時期を経て、1996年にアジアで2番目のOECD(経済協力開発機構)加盟国になった。
1997年にはアジア通貨危機により韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こり、外資導入と市場の寡占化が進んだ。大手輸出 企業や銀行の株主の多くは外国人になった。2000年頃には一時期な経済の立ち直りがあったものの、政府の金融政策のためクレジットカードを大量に発行し た余波もあり、2003年頃には個人破産が急増し国内での信用不安が高まり金融が危機的状態となった。2008年時点では、大学新卒者が正規社員として働 くのは困難であり[95]、2009年大卒者就業見込みは55万人中4万人だけであった[96]。徴兵義務や就職難のため、優秀な若者は韓国国内の経済状 況に関わらず海外への脱出を目指す傾向が強いが、経済的苦境のため、ますます国を離れて米国や日本の企業に就職する若者が多くなっており、頭脳流出が懸念 されている。
大手製造業である一部財閥系輸出企業は好調だが、韓国全体の雇用に寄与しているとは言いがたく、内需は極めて停滞しており、韓国国内においては財閥 系企業の寡占が問題となっている[97]。2008年時点で、韓国の国内総生産の18%、輸出の21%を三星財閥ひとつで占めていた[98]。このため、 社会では「二極化」という言葉がよく使われるようになり、経済的格差の拡大が問題となっている。2000年頃から富裕層向けの高層マンションブームとな り、2002年から2012年までの10年間に不動産価格は68.5%上昇(日本のバブル景気とほぼ同率)した。しかし人口動態の高齢化や内需の不振によ り、既に不動産価格は下落を始めており、ソウルのアパート価格は2011年2月以後22ヶ月連続で下落した[99]。2010年段階で国民の約10人1人 にあたる500万人が、屋上部屋、地下、ビニールハウスなどの、政府が定めた最低居住水準に満たない住居で暮らしている[100]。
2007年頃には、韓国の製造業が、技術的に先行する日本と、大量生産により追い上げる中国の存在に追い込まれるのではないかとする「サンドイッチ 現象」への懸念が持ち上がっていたが[101]、2010年頃から2012年末までに続いた超円高や、2011年のタイの大規模洪水や東日本大震災等の天 災で、日本の製造業が大規模な被害を被ったため、韓国の製造業は大きく業績を伸ばした。特に好調なのがサムスン電子で、迅速な投資判断、的確なマーケティ ング、デザイン戦略、日本人技術者のヘッドハンティングによる先端技術の蓄積により、売り上げ高と利益を伸ばし、世界最大の電機企業になっている。また現 代・起亜グループはデザイン戦略で成功し、世界における自動車販売台数を急激に伸ばした。
2011年時点での国内総生産は世界15位。主要な産業は情報技術、造船、鉄鋼、自動車などである。主要な企業としては、サムスン電子や、現代自動 車、LG電子、ポスコ、現代重工業などがある。リーマン・ショック以降、ウォン安政策によって輸出の伸ばし、2011年には韓国の貿易依存度は対 GDP96%となった。2011年度の統計によると、核心技術や素材、部品産業を日本に依存しているために、日本との貿易収支は277億ドルの赤字である が、好調な輸出に支えられて、韓国の総貿易収支は333億ドルの黒字であった[102]。2011年度は東日本大震災の影響で石油製品や鉄鋼の対日輸出が 43%増加し、前年度比で85億ドルの対日貿易赤字が解消されている。
近年は知的財産への投資も増加している(韓国の知的財産権問題も参照)。
建築・土木・プラント
韓国の建築・土木企業は1990年代頃まで、「不実工事」(手抜き工事)による三豊百貨店や聖水大橋、KBブリッジの崩落事故等により多数の死者を 出したことから信頼性に疑問符をもたれることもある[103]が、近年は韓国建設業界の発展は目覚しく、世界への進出を加速させている。
2000年以降、韓国建設業界は単純な土木工事から脱却し石油化学などのプラント受注等に力を入れていて、中東地域やアジアからの受注が多い。ま た、リゾートやニュータウンの建設にも力を入れており、サムスン建設がドバイで完成時点で世界一の高さになったブルジュ・ハリファを外国企業と共同で建設 した。
韓国の建築企業は、発電所や淡水・発電プラント等の大型プロジェクトを一括(ターンキー方式)受注するだけでなく、高度な技術が必要とされる基本設 計市場も開拓しており、海洋構造物(海洋プラント)市場では、韓国の造船企業が、FPSO(浮体式原油生産貯蔵設備)やドリルシップ(深海原油・ガス試錘 設備)などの高価格の海洋試錘設備市場で大きなシェアを得た[104][105]。ただし海洋構造物市場では核心技術の不足により国産化率が20%ほどに とどまり、大半の利益は海外企業に流れており見かけのシェアほどの利益を得られていない[106]。
主な企業は、斗山重工業、現代重工業、サムスンエンジニアリング、サムスン物産、現代建設、サムスン建設、SK建設、SKエンジニアリング、GS建設、大宇インターナショナル、韓電KPS、ハンソルEME。
造船
現代重工業の鄭周永会長が、創建期に研修生を1年間日本の造船会社に派遣してコンテナ2台分の設計図などの各種資料を不法に盗み出させたことを告白しているように[107]、韓国の造船業は日本からの技術移転や不法なスパイ行為による技術流出により発展してきた。
その後、プラザ合意以降の日本の円高による競争力低下とアジア通貨危機を受けての空前のウォン安が韓国造船業界に追い風になり[108]、2000 年に建造量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)で日本を抜き世界1位の造船大国になった。それと共に造船技術も発展し、2002年から2006年ま でに世界で発注されたLNG船の78.3%、ドリルシップの68%、油田開発用洋上石油生産設備(FPSO)の53.8%を韓国メーカーが受注し、高付加 価値船舶市場でも高いシェアを得た[109]。
しかし2008年に世界金融危機をうけて世界経済の収縮が始まると、造船業界の景気も急激に悪化し韓国造船業界の成長も急速に落ち込んでいる。 2009年の9月期までの韓国大手造船メーカーの受注額は年初計画の3%から10%に留まり[110]、年間建造量こそ世界1位を維持したが年間受注量と 受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)が初めて中国に抜かれ世界2位になった[111]。2010年上半期には建造量、受注量、受注残量すべての指標で 中国に抜かれた[112]。
軍需産業
兵器の製造の受注においては、韓国の国内企業ではほとんどを現代重工業が担っており、歩兵用銃器の製造に関しては大宇重工業が行っている。また兵器 の多くを輸入(ライセンス生産も含む)に頼っており、韓国の2006年から2010年までの兵器輸入額は74億300万ドルで、インドと中国に次ぐ世界3 位であった[113]。2000年代に入り兵器の国産化が続々と進められたが、K2戦車、K9 155mm自走榴弾砲、K21歩兵戦闘車、K11複合型小銃、コムドクスリ級ミサイル艇などの初期運用前後に欠陥が次々と発覚し、新型国産兵器の生産や配 備が遅滞する事例が続出している[114]。
工作機械・金型/製造装置
2000年代初頭より中小企業庁は京畿道富川市の金型産業を地域特化品目に認定するなど金型産業にも力を入れている。これを受け富川市は金型産業支援条例を制定し、世界で初めての金型集積化団地を造成し今では世界的な金型都市になりつつある。
事務用機器、医療用機器、自動車用ギアボックス、携帯電話、PDA・半導体用金型部品、プレス用金型部品、自動車用プレス金型部品、エンジニアリン グプラスチック金型、二重射出金型、ダイキャスティング金型、ブロー金型、マシニングセンタ、放電加工機、NCフライス盤、研削盤等のさまざま金型メー カーが存在している[115]。長らく金型・工作機械産業は輸入超過の赤字であり韓国の産業界では問題児とされていたが2005年以降黒字に好転し、外貨 獲得率80~90%の優秀な産業に変貌している。
アメリカの最先端ブロンコ・スタジアムの骨組みとなる数十トンの鉄骨用高強度ボルト・ナットの輸出や独BMWの部品供給メーカー、カイザー社への工作機械供給など世界各国に輸出している[116]。
韓国にはKPF、ファチョン機械、牙城精密、貨泉機工、ドラゴン電気などの中小企業から斗山インフラコアのような大企業まで1000社以上が存在している。
製鉄
ポスコ(POSCO=旧浦項製鉄)などの製鉄会社がある。ポスコは新日本製鐵から当時の最新の技術をそのまま導入して設立された。近年、中国で粗鉄 の需要が急速に伸び中国国内の調達だけでは間に合わないため、中国は韓国から輸入するケースが出ている。また日本の自動車メーカーもポスコの鋼板を採用す るようになった。
ポスコの製鉄技術は2004年頃から急激に品質が向上し新日本製鐵の高品位製品のシェアを奪っていったが、これは90年代に新日鐵を退職した技術者 が、新日鐵が数十年と数百億円をかけて開発した門外不出の「方向性電磁鋼板」の技術をポスコに流出させたことよるものである[117]。2012年、ポス コと新日鐵の元技術者は、新日鐵から、不正競争防止法の「営業秘密の不正取得行為」にあたるとして、1000億円の損害賠償と高性能鋼板の製造・販売差し 止めを求めて提訴されている[118]。
自動車
「韓国車」も参照
三菱自動車からの技術協力を得て1975年から製造された韓国車初の国産乗用車、ポニー(現代自動車)
2012年時点の韓国の独立系自動車資本は現代-起亜自動車グループだけであり、その他の自動車メーカーは外国企業の傘下である。
韓国の自動車産業の歴史は日本企業との提携から始まった。現代自動車は三菱自動車、現在では現代自動車の傘下に入っている起亜自動車はマツダ、大宇 自動車(GM大宇を経て現在は韓国GM)はトヨタ、ルノーサムスン自動車は日産自動車と提携していた。韓国国内では1988年に自動車の輸入が自由化され たが、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本車の輸入・販売は1998年7月に 至るまで禁止されていた[119]。
現代-起亜自動車グループは、2000年代中盤までには日本以外の世界市場ですでに一定の低 – 中価格帯の車種のシェアを獲得し、2000年代後半にはさらなる高価格帯への参入を企図し、2008年に初めて海外の高級車マーケットにヒュンダイ・ジェ ネシスを投入した。一方、趣味性の高いスポーツカーはほとんど販売しておらず、数々の特色のあるスポーツカーを市場に投入してきた日本の自動車メーカーと この点で異なる。2002年、現代・起亜はアメリカで、エンジン出力水増し広告がばれて、集団訴訟され、補償金を支払った。2012年、今度は燃費水増し 広告がばれて集団訴訟されている[120]。
韓国車のデザインは2000年代前半頃までは日本車の影響が強かったが、2000年代後半からその影響を脱し飛躍的に向上している。これは現代-起 亜自動車グループが、生産効率よりもデザイン優先に経営方針を定め、起亜がアウディのチーフデザイナーだったペーター・シュライヤーを獲得して最高デザイ ン責任者に据え、現代がBMWのチーフデザイナーだったクリストファー・チャップマンを獲得してデザイン責任者に据えたことが影響している[121]。現 代起亜グループの立役者となったペーター・シュライヤーは2012年12月に現代起亜グループの社長となった。また品質の向上も著しく、世界金融危機以降 の円高ウォン安の影響もあり、特に米国や欧州市場で販売シェアを伸ばしており、2011年の現代-起亜自動車グループの現代自動車と起亜自動車の合計販売 台数は660万台で世界4位であった(ルノー・日産アライアンスを順位に入れると5位)[121]。
半導体・電子部品
DRAMでは世界シェアの約半数近くを占める。半導体技術力が向上し、大規模な投資を行って高収益を上げ、その大半を再投資に振り向けて政府の後押 しにより最先端生産ラインを増強した結果である。半導体技術力向上の一環として、世界中から人材を集めるのが特徴で、日本の技術者も高額の給料で雇われ、 土日のアルバイトで働く者もいた。その結果、1990年代まで日本が優位にあったDRAM業界のシェアを韓国が塗り替えることになった。これに対し日本や 他国の企業は技術流出の対抗策として、自社技術者の監視、生産技術の内製化を進めている。一方で韓国企業でも同様に他国への技術流出対策を積極的に行って いる。フラッシュメモリーは日本や米国にも輸出する反面で部品を輸入し、水平分業が盛んである。パソコンや携帯電話等で使われる汎用品の液晶パネルでも DRAMと同じ産業構造であり、韓国が世界トップのシェアを占めている。
家電・情報通信製品
サムスン電子
韓国の家電・情報通信製品は世界有数の販売シェアを得ており、液晶テレビ等のAV機器や携帯電話等の情報通信機器の分野ではサムスン電子が様々な製品で世界トップシェアであり、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等の白物家電の分野ではLG電子が世界的に有名である。
特にサムスン電子の製品は、新興国のみならず欧米でも価格や品質やデザインが高く評価されており、世界トップレベルのブランド価値を得ている。この 分野での日本企業の凋落と入れ替わる形で韓国企業が世界的に躍進しており、近年ではウォン安の影響もあり、様々な製品の販売シェアで日本企業を完全に追い 抜き国際的な認知を得ている。デジタルカメラやプリンターなど日本企業が健闘していた製品領域での伸びも著しい。携帯電話の分野では国際マーケットでノキ アやモトローラなどと熾烈な競争を続けている。基幹部品のフラッシュメモリーや液晶パネルのシェアで世界トップであることが強みであり、第三世代携帯電話 を中心に韓国製のシェアが伸びている。この分野についてはOEM(相手先ブランドによる生産)やEMSなどが広範におこなわれており、いわゆるブランド シェアと実際の国際マーケットにおける貢献の詳細については不明な点も多い。
様々な製品で直接日本製品と競合するため、特許侵害を巡って日本企業と互いに提訴を繰り返しており、特に液晶テレビで顕著である。また日本企業と同じくアメリカ企業の「パテント・トロル」にも苦しめられている。
クレジットカード照会機、PCPOSシステムと周辺機器、複合クレジットカード照会機をはじめとした各種の電子機器の海外輸出も行われている。
情報通信インフラ
韓国ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド(Cyworld)などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Network Service, SNS)やオーマイニュース(OhmyNews) などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあま り使用せず、IPアドレスが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約によるものである。全世界のスパム発信元ランキングではワー スト6位であり[122]、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言い難い現状である(日本は33位)が、セキュリティに対する関心は高まっている [123]。また、韓国国内ではネット上のマナーや倫理問題から、韓国内サイトでの発言は、匿名性を廃止し、個人名や国民番号を記載させる傾向にある。
無線通信技術の分野では、CDMA技術など米国の会社に対する基本技術への特許使用料が増加しており、新規技術開発が急がれていた。こうした中、韓国電子通信研究院 (ETRI)が 2007年に「WiMAX」規格の派生規格である「WiBro?」の開発に成功し、「モバイルWiMAX wave1」規格はWiBro?に準拠して策定された。しかし世界的に導入が進み事実上の国際標準になっているのは「モバイルWiMAX wave2」規格であり、期待通りの成果を収めたとはいえない。
農業
禹長春
第二次世界大戦以降、韓国の農業技術は向上した。韓国の農業関係者の努力と、日本の農業技術の導入などが要因である。禹長春の業績が知られている。
医療・生命科学
再生医療は世界的に将来有望な市場とみなされており、近年、韓国でも再生医学などの医療・生命科学技術(バイオテクノロジー)を振興している。 2004年から2005年にかけてのソウル大学の黄禹錫教授のヒト胚性幹細胞(ES細胞)に関する一連の世界初の成果により、韓国は再生医学分野における 世界の先頭走者に躍り出ると見られていた。しかし、実験に用いる卵子採取に際して倫理的な問題が浮上し、黄禹錫教授が米科学雑誌Scienceで発表し た、世界初の「ヒトクローン胚からのES細胞作製に関する論文」についての捏造疑惑が浮上した。捜査と再検証によりイヌクローンの論文以外の一連の世界初 の成果は全て捏造だということが判明し、この分野での韓国の信頼と経済的可能性は失墜した。これにより黄禹錫はソウル大学を免職処分になり、さらには詐欺 と横領罪により起訴されるに至っている(事件の詳細は黄禹錫の項を参照)。
経済自由地域
韓国政府は、2003年8月に「経済自由地域の指定運営法」に基づいて、仁川の永宗島、松島、青羅地区を経済自由区域に指定し、同年10月24日に は釜山及び鎮海と光陽湾一帯に対しても同様の指定を行い、仁川・釜山及び鎮海・光陽湾による「3特区体制」を整備した。政府はこの3地域を「北東アジアの ハブ(中心国家)構想(仁川は国際空港を中心とした金融・物流・国際業務センターとしての役割を担い、釜山及び鎮海(東南地域担当)と光陽湾(西南地域担 当)は中国・上海と競争する港湾物流・工業団地として育成する)」の拠点に据えるとの計画を発表した。
また、2006年からは、外国企業誘致の為、経済自由区域内では英語を公用化する必要性があるとして、公文書を英語で受付け、処理されるようになり、公文書や看板等には英語が併記される様になった。
他にも、外国企業誘致策の一環として、2006年3月より、松島地区において韓国では初めての公的教育機関としての外国人学校(対象は、韓国に住む 外国人、仁川経済自由地域に進出する外国企業で働く外国人の子弟)となる松島国際学校の建設が進められ、完成すれば、幼稚園から高校までの13年課程の学 校となる(永宗島と青羅地区にも、同様の外国人学区が建設される予定)。
国民
詳細は「大韓民国の国民」を参照
朝鮮は古代より、「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避した。(魏志東夷伝)」「辰韓は馬韓の東において、その耆老 の伝世では、古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた。(同前)」という様に、国を割いてまで秦の亡民の建国を許して いるように多様な経路からの異民族の移住が多く、また、朝鮮半島中・西北部は楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の植民地漢四郡が置かれ、漢の植民地だった時 期に漢族が移住して土着化し、東北部は高句麗人、渤海人、女真人等ツングース民族の流入が相次ぎ、また、高麗時代前時期にかけて異民族が23万8000人 余りも帰化したが[124]、李氏朝鮮時代から日本統治時代にかけて住民の均質化が進み、ほとんどが朝鮮民族となっている。韓国は単一民族国家意識が強い のが特徴的である。自殺率が年々増加し続けており、10万人あたり31人という自殺率(2010年調べ)は、OECD加盟国中、トップである。また、社会 保障の政府支出が対GDP比で7.7%と少なく、OECD加盟国中、最下位である。
民族構成
訓民正音
在韓外国人数(2009年)[125]
出身国・民族 人数
中国(朝鮮族) 443,836
中国 181,158
ベトナム 107,969
アメリカ合衆国 59,870
フィリピン 53,965
タイ 30,760
インドネシア 27,663
日本 26,524
台湾 23,447
モンゴル 22,892
ロシア 6,545
その他 383,902
在韓外国人総数 1,106,884
民族構成は、そのほとんどが朝鮮民族である。日本同様、晩婚化や少子化が問題となっており2000年代以降の合計特殊出生率は世界最低レベルである [126]。このため若年人口が減少傾向であり、2020年頃に総人口と労働力人口の減少が始まり、世界一急速に高齢化社会が進行し、2050年頃には高 齢化率が日本に追いつき世界最高水準になることが予測されている[127][128]。他にはごく少数ながら中国系住民(華僑・華人)も存在する。韓国に 永住権をもつ外国人の大半は華人であるが、華人に対して排外的な風土と諸施策が影響し、過去数十万人いたが現在では数万人以下に減少している。
韓国統計庁「婚姻・離婚統計」によると、2005年度の全結婚件数の13・6%が国際結婚で、特に花嫁不足の地方では35・9%が国際結婚であり[129]、2020年までに200万人の混血児の誕生を見積もっている[130]。
近年、在韓外国人が急増しており、その数は126万5006人に達し[131]、外国人の占める割合は2%を超え日本を上回る。急速に、かつての単 一民族国家から日本以上の移民社会へと変貌を遂げつつある。大半は中国人、特に朝鮮族が占めているが、国際結婚の急増から東南アジアも非常に多い。また、 高麗人との関係から中央アジア出身者も20,265人と多いのが特徴である[132]。
言語
公用語はソウル方言をもとにした朝鮮語(「韓国語」)であり、文字は主にハングルを用いる。「韓国語」とは主に外国向けの表現であり、韓国民は「国 語」(ウリマル)と呼ぶことが多い。最近ではハングルのみで読み書きするための教育を受けた世代が多くなり、古文書を扱う公務員や教育関係者など一部を除 き、漢字を読むことができない国民が多い。最近は再び、学校での漢字教育も重視すべきとされているが、全般的に漢字表記は少ない。W杯の前後より、東アジ アの漢字文化圏からの観光客への便宜及び同地域の国際交流推進を目的に、交通施設の標識などに漢字が増えてきている。
宗教
詳細は「韓国のキリスト教」および「朝鮮の仏教」を参照
2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割[133]はクリスチャンであり、約2割は仏教徒である。古来中国の影 響から仏教が重要な宗教であり、日本同様伝統信仰と仏教の融合もなされている。韓国のキリスト信者の比率は絶対信者数、人口に占める割合ともに(東ティ モールを除けば)フィリピンに続きアジアでは第2のキリスト教国家である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者で祖先崇拝や法事は熱心 に行う[134]。
クリスチャンの多くはプロテスタントでとくに長老派やメソジスト派が多い。この教派は日韓合併の時から韓国の中で3・1運動の参加、神社参拝強要へ の拒否など反日本運動を続けてきた。李承晩初代大統領もメソジスト牧師出身である。プロテスタント信者の増加にはアメリカからの宣教師の影響も強かった が、朝鮮戦争後のキリスト教の急速な普及の背景には、日本と同様に経済成長期に多くの人口が都市部へ移動し、故郷を離れ孤独な人々が宗教組織に入ったとい う事実もあると言われる[誰によって?]。
日本領時代の1930年代以来、キリスト教系の新宗教も数多く存在し、一部の教派(統一協会等)は社会問題になっている。
儒教と人間関係
韓国社会における人間関係上の慣習は急速に変容しているが、儒教の影響で宗族秩序などの影響は未だ色濃く残っている。上下関係に厳しく、現在でも目 上の人の前での喫煙や、許可を得ないままの飲酒は礼儀違反とされている。親戚同士の結束は強く、6親等以内の親戚は助け合うべきだとされる。これをユック チョン(六寸)というが、現実に親戚づきあいは非常に多く、初対面の親戚でも就職や進学時の世話をすることは普通である。
学校の同窓生等の結束も強いが、見知らぬ他人との幅広い交際はあまり好まれず、人間関係はやや閉鎖的である。これは、国民の約70%が人格障害を 持っているためで、20代男性の対人関係の障害は約45%と、これは先進国の2.5倍~4倍である[135]。さらに、成人の6人に1人が2011年から 2012年の間に精神疾患を患っており、4人に1人が生涯で1度は精神疾患を患っていることとなり、韓国は人格障害大国、精神疾患大国となっている [136]。社交の場において遠慮はあまり歓迎されず、明確な主張を好む。また、お互いに迷惑をかけあい他人を思いやることが良しとされ、食事の際も割り 勘という習慣はなく、目上の者や気分が良い者がすべて払うことがごく普通である。
社会
地域対立と不平等
詳細は「韓国の地域対立」を参照
人口の85%は都市部に住んでいる。特に首都のソウル特別市には全人口の2割に当たる約1000万人が住んでいる。また一般に首都圏として扱われる ソウル、仁川、京畿道の合計人口は全人口の半分近くにのぼり、非常に強い人口の一極集中がみられる。人々の方言や、価値観や意識は地域間の差が大きく、現 在でも地域対立は強く選挙などへの影響も強い。これは伝統的なものとされる。
軍事政権時代は朴大統領の出身地である慶尚北道の大邱市や慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会に おいても、様々な差別があったことも、地域対立の原因である。大邱地域と慶尚道の出身者はTKとよばれ社会のあるゆる面で優遇された。嶺南圏(ヨンナムコ ン)といわれる慶尚道と、湖南圏(ホナムコン)といわれる全羅道の、東西での対立感情は今でも強い。ただし、この地域対立がいつから発生したのかについて は諸説あり、実際には詳細がわかっていない。
現在は職業差別はほとんどなくなっているが、かつては職業差別は根強かった[137]。とくに食堂や売店など人と接する職業は蔑視されていたため、 日本のような老舗店は少ない。この価値観のため、韓国の自営業は長くは続かないことが特徴であった。また歌手や俳優などは、もともと貴族に仕えるための職 業で、ホステスや水商売に近いイメージがあり、親戚に歌手がいる場合、恥ずべきこととして隠すことが多かった。しかし現在では、そのような価値観も大幅に 変化している。韓国の経済成長期は、大量の人口が農村部から都市部へ移り、女性も工場労働者として、長時間労働により経済発展を支えたが、女性が働くこと も身分が低いこととみなす差別感が根強い。最近では高学歴女性など積極的に働く人も多いが、女性の社会進出は遅れぎみであり伝統的な性別役割意識も強い。 中国東北部(主に朝鮮族)や東南アジア、中央アジアなどからの外国人労働者が最近は増え、仁川広域市などには中華街もある。また、2006年の地方選挙で は外国人参政権が認められた。
教育
詳細は「大韓民国の教育」および「大韓民国の入学試験」を参照
日本同様の6-3-3-4制の学校制度を持つ。日本以上の学歴社会であり大学受験は熾烈を極める。大学進学率は極めて高く子弟が塾へ通う割合も極め て高い。公式統計によると、2012年の大学進学率(大学入学者数/高校卒業者数)は71.3%である。受験戦争が厳しく、予備校などのための教育費負担 が大きいことも問題となっている。初代大統領の李承晩が、プリンストン大学で博士号を取った人物ということもあって、アメリカの一流大学で博士号を取得す る学生が尊ばれた。政府高官や大学教授などの高い地位が約束されていて、1970年代後半までは、新聞に顔写真と経歴が掲載される程だった。また、企業や 奨学財団も、アメリカ留学を積極的に推し勧めた。そのため、厳しい受験競争を勝ち抜いたトップクラスの学生は、アメリカ留学へと向かった。1980年代以 降は、博士号取得者が増加し、その数は1998年までで3万人に達するといわれている。今では単にアメリカで博士号を取得した程度では、大学教員として迎 え入れられることはなくなっているという。こうした人材が経済発展の礎となった。米国際教育研究所によると、2010~11年学期にアメリカの大学に在籍 した韓国の留学生数は、中国15万7千人、インド10万3千人、に次いで第3位、7万3千人である。
公式統計によると、一般大学の就職率は2010年51.9%、2011年54.5%、2012年56.2%である(就職率の分母は卒業者数から進学者や兵役に就いた者、外国人を除く)[138]。
一方で、英語教育への過度の熱心さゆえに、TOEFL受験受付ページへのログインのために連続クリックツールなどを使いそれが原因でサーバーに多大 なる負担を与える事件が起き、その結果TOEFLは世界で唯一韓国だけは除外されている[139]時期があった。また、政権の維持・愛国心醸成・自民族観 向上などを目的として、これらに沿った形での反日教育が実施されている。
民族主義と対日蔑視
詳細は「韓国の民族主義」、「韓国起源説」、および「在日認定」を参照
朝鮮半島の歴代王朝は長期間に渡って中国大陸の歴代王朝に服属・朝貢しており、例えば新羅は北斉(北朝)・陳(南朝)・隋・唐に朝貢し、高麗は宋・ 契丹(遼)・女真(金)・明に朝貢、元に服属し、李氏朝鮮は明・清に朝貢していた(日清戦争まで)。これらの歴代王朝の多くは中国歴代王朝による冊封を受 け(朝鮮半島を中国とみなす記述を参照)、「礼教、音楽、法律、制度、衣冠(身分秩序)、文物(文化の産物)、ことごとく中国の制度に従い[140]」と 記述されたように中華文化に対して卑屈なまでに尊ぶ事大主義と、自らは中国文明(大中華)に次ぐ「小中華」であり周辺国である日本や琉球や満洲などの夷狄 より文化的に優越するという「小中華思想」が形成されていた。しかし現実(李氏朝鮮時代)には極端な朱子学の影響もあり、実用的な商工業や産業は軽視され 文化的にも停滞しており、「武」を忌避する文化から軍事的にも退廃し、結果として文禄・慶長の役で日本に攻められ、その300年後には、近代化に失敗し日 本に統治される結果を招いた。
韓国建国後に第5代大統領となった朴正煕は、この朝鮮民族の属国史の原因を自分達の民族性によるものと考え[141]、「民族の中興の使命を達成す るための主体的民族史観」に基づいた「国籍ある教育」を掲げて、愛国心教育や民族教育を徹底するようになった。この徹底した自民族優越主義的な愛国民族教 育が伝統的な小中華思想や原理主義的な儒教と結びつくことで、韓国社会の間で自国を「歴史的な文化先進国」、日本を「歴史的に未開で野蛮な文化的劣等者」 とする価値観がますます根付くようになった。
詳細は「韓国起源説#日本に対する韓国起源説の発生理由」を参照
これは、学校教育や大手新聞やテレビや書籍で、「日本は韓国の優れた文化を受け入れるだけの文化劣等国」「有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」 「韓半島に比べてみすぼらしくて短い歴史しか持たず、歴史を捏造するしかない日本」というような対日蔑視に基づいた誤った論評が日常的に行われたり [142][143][144][145]、日本列島を指す「島国」という言葉が「劣等で未開」という意味で使われて、駐日韓国大使がテレビのインタ ビューで使うまでになっていることからも伺える[146]。また、マスコミによって「チョッパリ」「ウェノム」「イルボンノムドル」などの日本人を指す侮 蔑語が使用され[147][148]、「古代に韓民族の中の質の悪い犯罪者を「おぼれ死ね」と丸太に縛って海に流して島にたどり着いたのが国際的なならず 者の低質日本民族の正体だ」[149]、「『日本猿』と『チョッパリ』、どちらが日本人の呼び名に相応しいか?」[150]、「『倭人』という言葉があ る。とても小さくてみすぼらしいという意味の倭だ。人間の度量が小さくて狭い場合に私たちは『小さい奴』という言葉を使う。日本はそのような種族だ。」 「『日本猿』という呼称がある。陰湿で凶悪で他人の真似はうまい人に、よく『猿のような奴』と非難する。日本はその猿のように卑怯な種族だ。」 [151]、などといった論評まで行われていることからも伺える。また韓国社会では日本人を「文化的に劣等な『猿』」とみなすことが常態化しており、奇誠 庸などの有名スポーツ選手や地方公共団体が公の場で日本人を「猿」として侮辱することがある[152][153][154]。
そして、このような対日蔑視に基づいた「文化的劣等者の日本人に韓国が併合された」という認識が韓国国民の反日感情の大きな要因になっている [155][156]。こうした自民族優越主義的な価値観と対日蔑視に基づいて、偉業を成した日本の著名人を根拠なく勝手に在日コリアンやコリアン系の同 胞だと主張する在日認定や韓国起源説(他国文化の剽窃)は、インターネットを介して日本や中国にも知られるようになり、韓国社会の異常性を認識させるに 至っている。
また、韓国人達は「歴史的に先進的な韓国とその従属国の日本」という認識を外国人にも広めようと熱心に活動しており、例えばカリフォルニア州在住の 在米韓国人達が、「韓国が日本に東アジア思想と文物を伝えた。」「韓国の陶工が日本に渡って日本の文化形成に寄与した。」などの新たな記述をカリフォルニ ア州で使用される歴史教科書に反映させるための法案を通過させようと、カリフォルニア州議会議員達に対してロビー活動を行っている[45]。
現代の日本社会や文化に対しては、ある程度の羨望と親しみを感じながらも、上記のような理由でスポーツイベントなどで民族差別と結びついた愛国心を 表出させ反日行動を起こすことがある。第1回WBCでは、韓国のマスコミ各社がイチローの「韓国侮辱30年発言」を捏造したため大規模なイチローバッシン グがおき、LGツインズ公認のイチロー射殺Tシャツが発売されるに至った[157]。フィギュアスケートでは、韓国SBSが「国際大会で日本人選手が組織 的にキム・ヨナの練習を妨害している」と事実無根の報道をしたため、日本人選手バッシングがおきYouTube?で 日本人選手を非難する各種動画が投稿され100万件以上の閲覧がされるに至った。AFCアジアカップ2011の日本対韓国戦においては、キ・ソンヨンが ゴール後に、韓国社会で日本人を「文化的劣等者」として言及する時に多用される蔑称である「猿」を真似たパフォーマンスを行った[158]。当初は、試合 前から用意していた日本人に向けたパフォーマンスだとキ自身が認めていたが、問題が大きくなると日本応援席に掲げられた旭日旗を見たことを理由に(実際に は旭日旗は存在していない)、次いで「欧州での自身に対するアジア人差別に抗議するため」と前言を翻した[159]。
一方、韓国社会における非正規雇用の増加や物価急騰、過酷な受験戦争と男女差別等により、世論調査で、韓国人全体の1/4と、20代女性の半数が 「韓国に生まれ変わりたくない」と否定的な回答をしたり[160]、高麗大学の学生の51%が「韓国が嫌い」と回答した調査もあり[161]、近年の韓国 人の愛国心は低下しているという調査結果もあるが、上記のような対日蔑視に変化はないのが現状である。
報道
1961年から1987年までは、軍事政権による言論統制が続き、新聞業界の再編などが行われた。放送局は民放2局が公営の韓国放送公社 (KBS) に統合され、残った民放の韓国文化放送 (MBC) も65%の株式をKBSが保有した。1987年以降は言論の自由が一応は保障され、新聞社が増大した。しかし政府が報道内容に干渉することも多く、本格的 な言論の自由は1998年以降である。最近もKBSとMBCは、日本の日本放送協会 (NHK) 以上に政府の影響力が強く、テレビ報道の内容は政府寄りである。民放のSBSもあり、ケーブルテレビ局の放送も増えている。日本との間に起こる歴史期認識 問題や領土問題などの報道では、日本側の主張を「歪曲」「捏造」「妄言」等と主観的な言葉で断じた上で報道することが多い。一般的に愛国心を鼓舞するよう な報道が頻繁になされ、スポーツイベントなどでも顕著である。
治安
韓国における殺人、強姦、強盗などの凶悪犯罪発生率は日本より大幅に高い[162]。聯合ニュースは2009年7月31日付けで韓国での殺人、強 盗、強姦、窃盗、暴力の5大犯罪の発生件数がここ5年間で20%近く増加していることを伝えている[162]。韓国警察研究学会の資料によると、殺人、強 盗、強姦の三大凶悪犯罪の発生件数は、2001年に14896件、2010年には27482件となっており、10年間でほぼ倍増している。また、消防防災 庁の発表によると、2008年に韓国内で発生した放火事件は4420件である[163]。公共の場所での犯罪では窃盗、置き引きなどが横行している。
韓国の警察庁の発表によると、2007年から2011年の5年間で発生した性犯罪事件は81760件で、その半数以上は強姦事件である。2011年 の強姦事件は19598件であり、10万人当たりの発生率は日本の約40倍である。強姦された女性が助けを求めた男性や、医者、警官にまで立て続けに強姦 される事件も起きている。2008年には、再発を防止するために、性犯罪前歴者に電子足輪の装着が義務付けられたが、足輪をつけたまま暴行する再犯者が後 を絶たない[164]。韓国女性の半数が性犯罪に遭遇している(2012年調査)ことから男性から女性への性犯罪が日常茶飯事であるとされている [165]。
特に未成年者による性犯罪が多く、低年齢化も進んでいる[166]。強姦事件は日本の10倍、アメリカの2倍(人口10万人当たり)となっており、2003年から2008年にかけて42.9%増加するなど減少傾向にあるアメリカや日本と対比的である[166][162]。
また、未成年者による強姦の50.7%は輪姦である[166]。過去、アメリカ国務省が韓国情報で異例ともいえる警告を発している。『特に夜間、女 性が一人でタクシーに乗るときは十分な注意を要する。タクシー運転手もしくは同乗者による女性同乗者への犯罪が報告されているからである。また、外国人旅 行者への痴漢行為、レイプも報告されている。』(1999年10月29日付)[要検証 – ノート] アメリカ国務省は、韓国の犯罪発生率は低いが、強姦事案が報告されており、性犯罪に巻き込まれないよう夜間の一人旅は慎重にすべしと旅行者に呼びかけてい る[167]。また、同様の警告は、イギリス外務省よりも発せられている[168]。
韓国人は日本国内でも頻繁に強姦事件を起こしており、「日本は強姦がやりやすい」「強姦目的で来日した」と供述した容疑者もいた。フィリピンでは韓国人の女性暴行事件が多発し、「韓国人戒厳令」が出されたこともある。
韓国法務部の資料によると、2008年に、詐欺205140件、横領26750件、背任5135件も起きている。また、2007年に、偽証罪で1544人、誣告罪(日本では虚偽告訴罪)で2171人が起訴されている。
2010年現在、韓国女性10万人以上が海外で売春を行っているが、その半数に当たる5万人が日本で売春をしており、韓国内で募集された高校生を含 む未成年者までもが売春目的で渡航するなど深刻な問題となっている[169][170]。また、韓国国外で収監されている韓国人犯罪者の43.2%が日本 で収監されている[171]。しかし2008年3月31日にソウル市城北区下月谷洞のアパート工事現場前で売春に従事する女性と売買事業主ら300人余り が片道2車線の道路を占拠して本地域での営業権を求めデモ活動を行うなどアングラな産業として売春が黙認されているのも事実である。また『ハント全国連 合』と呼称する性売買事業主達による連合団体が存在し売春を禁止する法律自体の変更、撤回を求め活動していることから国際的な世論とは裏腹に売春業に従事 する者は権利や保障を求め活発である。
2012年6月15日付の朝鮮日報の記事によると、2007年に女性家族部が実施した実態調査の結果、韓国の風俗産業の経済規模は約14兆952億 ウォン(当時の為替レートで約9,622億円)と試算されており、これは同年の国家予算239兆ウォン(約16兆円)の約6%に相当する額である [172]。また同調査によると、韓国全土で46,247カ所の風俗店が営業しており、これらの店で働く女性は269,707人に達し、客となる男性は年 間延べ9,395万人、1人の成人男性が1年に5回近く風俗店を利用している事となる。一般的に売買春行為が密かに行われている点を考慮すると、実際の数 はこれよりも遥かに多いと考えることも出来、男性の権利擁護を目指す男性連帯は2011年12月に韓国国内の風俗店で働く女性の数を189万人(韓国女性 人口の約7.5%)と推定され、同団体の関係者により「自発的に売春を行う女性が、現実として非常に多いことも問題だ」と指摘された事が同記事にて報道さ れた。
韓国籍と国際結婚
優れた人材の確保などを目的として国籍法を改正し、成人の二重国籍を条件付きで容認している。嘗ては韓国人と日本人の間に生まれた子どもは、22歳 までは韓日の二重国籍として取り扱われ、22歳の時点で何れかの国籍を選択しなければならず、日本国内に居住している二重国籍保有者の大半は、日本国籍と なる例が殆どであった。約58万人いる在日韓国・朝鮮人の結婚相手は、最近9割程度が日本人であり、その間に生まれる子どもは毎年5千人前後に上る。韓国 大使館によると、韓国の改正国籍法は1997年5月に一部施行され、韓国と他国との二重国籍になった者は22歳までに、韓国内で外国籍を行使しないと誓約 すれば、外国籍を放棄せずに韓国籍を維持できるようになった。既に韓国籍を失った元二重国籍者も、2012年5月までに申請すれば外国籍を持ったまま韓国 籍を再取得できる。日本の国籍法では二重国籍を認めておらず、法務省は「韓国籍を維持、再取得すれば日本国籍を失う可能性がある」(民事1課)と指摘す る。
文化
チマチョゴリ
キムチ
詳細は「朝鮮の文化」を参照
チョゴリないし韓服、キムチ、朝鮮人参に代表される韓食、オンドルに代表される住居などに伝統文化が息づいている。韓国の伝統社会では地理的な関係から中華文明の影響が大きかった。
近年、大統領直属の大韓民国国家ブランド委員会の指導の下、官民を上げて様々な組織が韓国のイメージや「国格」を高めるための対外文化広報を行って おり、伝統文化やハイカルチャーの広報を韓国文化院が担い、大衆文化については韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が民間企業のコンテンツ制作と輸出と宣 伝に多額の国費を投入して強力に後援している。韓国の2008年度の文化振興予算は1169億で日本の1018億円より多く国家予算比では日本の7倍であ り海外への宣伝と輸出に極めて積極的である[173]。また韓国政府が後援する民間団体のVANKなども積極的な宣伝活動を行っている。
世界遺産
世界遺産・石窟庵
詳細は「大韓民国の世界遺産」を参照
韓国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が9件、自然遺産が1件ある。
大衆文化
韓国は自国の地上波テレビで日本のドラマ・映画、日本語の歌が放映されることは、かつて法律で禁止ないし強く制限されており[174]、1998年 から日本の大衆文化を順次受け入れ始め、2004年にはケーブルテレビなど有料放送においてのみ、年齢制限付きで日本のドラマ放映は解禁され、また最近は 日本のドラマのリメイクや日本の小説・漫画を原作としてドラマの製作も行われてはいるが、地上波テレビ放送においては現在も日本のドラマ・映画、日本語の 歌の放映は放送局側が「国民情緒に配慮し」録画放送だけに限ってきた。2010年9月10日にはSKE48が「2010ソウルドラマアワード」の授賞式に 出演し、日本語で歌う姿が韓国の地上波で初めて生放送された[175]。
韓国政府が韓国コンテンツ振興院(KOCCA)を設立して、国家戦略として映画・放送映像(テレビドラマ)・K-POP・ゲーム・アニメ・マン ファ・キャラクターなどの大衆文化の振興を図っている。対外世論工作や様々な韓国製品の輸出の尖兵としての役割も果たすため、韓国政府が国策として民間企 業のコンテンツの制作と輸出を強力に後援している。映画やテレビドラマの制作やK-POPシンガーの育成やコンサートの開催にも国費が投入され、コンテン ツ制作企業に制作費の10%の輸出実績があれば、韓国政府が金融機関に貸し出し保証書を発行しており、これにより韓国のコンテンツ制作企業は金融機関から 積極的に融資を受けることができるようになっており、韓国のコンテンツ制作企業から輸出相手国企業に補助金が支払われるまでになっている[176]。韓国 ドラマの放映権を購入した台湾のある企業は、買い付け金額より多い補助金を韓国側から受け取っている[176]。またJapan ExpoやKorean Connectionなどの国際イベントでも韓国政府の各機関が文化の輸出と宣伝を行っており、ここで韓国起源説を交えながら韓国文化を宣伝することで日 本人と摩擦を引き起こしている[177][173]。日本においても2010年から韓国のポップソンググループをK-POPなどと称して頻繁に取り上げ た。
また、韓国の文化産業の保護育成を目的とした、国内映画の上映割合を義務付ける排他的なスクリーンクウォーター(割当)制を実施している。スクリー ンクウォーターとは別にアニメや歌謡曲に対する商業規制もあり、これは「国民感情に配慮」を名目としているが、事実上の国内文化産業の保護育成策にもなっ ている(文化の日韓関係を参照)。また国・地方自治体レベルでアニメーション産業を育成するなどしている。
インターネットにおける大衆文化
詳細は「韓国のインターネット」を参照
韓国では、多くの人が映画や音楽やゲームなどの様々な大衆文化をネット経由で楽しんでおり、韓国の大衆文化とインターネットは密接な関係にある。街 中にPC房(PCバン、インターネットカフェ)が至る所にあり、ブロードバンドを手軽に利用することができ、インターネットテレビのストリーミング放送や ミュージックビデオの無料閲覧が早くから実現するなど、特色あるインターネット文化を構築している。2000年には世界で逸早くブロードバンド利用者が1 千万人を突破し、2002年の日韓ワールドカップの頃には盛んに「インターネット強国」を自称し海外に宣伝していた。韓国ではインターネットが現実世界に 与える影響力が大きく、盧武鉉の大統領選挙当選や2008年韓国蝋燭デモにおいても大きな影響力を発揮している。
大衆文化における日韓関係
韓国政府による日本の大衆文化に対する規制と段階的撤廃
詳しくは韓国における日本大衆文化の開放を参照。
韓国政府は、長い間「国民感情を害する」との名目により、日本の大衆文化が韓国に流入することを禁止してきた(倭色を参照)。このような中、一部の 韓国国民は、日本の地上波放送の電波が届く釜山や日本海側沿岸部で日本のテレビ放送を鑑賞する、規制の対象外の日本の輸入書籍を購読する、治外法権のある 在韓日本大使館公報文化院を利用する、台湾からの輸入CDや海賊版を購入するなど、規制をかいくぐって限定的ながら日本の大衆文化に接してきた。
韓国政府が日本の大衆文化を段階的に開放したのは1990年代後半の金大中政権からであり、1998年の第1次日本大衆文化開放では、漫画販売の全 面開放と、世界4大映画祭(アカデミー賞と世界3大映画祭)受賞映画と日韓合作映画に限っての映画館上映のみ開放された。翌年の1999年の第2次開放で は、年齢制限のない実写版映画の映画館上映と、2000席以下での室内での日本語歌謡公演(コンサート等)に限って追加開放された。
開放が大幅に進んだのは2000年の第3次開放からであり、日本語歌謡公演の全面開放、日本語歌唱のない日本の音盤(CD等)販売、PC・オンライ ン・店舗用ゲーム機(家庭用の据え置きと携帯ゲーム機以外)の販売・稼働、「青少年観覧不可」以外の実写版映画の映画館上映、国際映画祭を受賞したアニメ 映画の映画館上映、スポーツ・報道・ドキュメンタリー・韓国で映画館上映された映画の有料放送(ケーブルテレビ・衛星放送)が追加開放された。こうして、 韓国デジタル衛星放送・スカイライフや多くのケーブルテレビ局が、韓国の総代理店(スバルコリア)を通じて日本放送協会(NHK) に使用料を支払いNHKワールドプレミアムの再送信を行うようになり、2005年8月には、日本のロックバンドのL’Arc~en~Cielが、公式に大 規模なライブを行うこともできるようになった。ただし地上波放送では依然として厳しい規制が続いた。
2002年には日韓ワールドカップ=サッカーワールドカップが韓国と日本により共同開催され、日韓国民交流年として850件を超える交流行事が行わ れた。これを機に日韓間の文化的交流が爆発的に広まった。草彅剛は、チョナン・カンという名前で韓国で活躍するようになり、2009年に草彅が引き起こし た公然わいせつ事件も韓国メディアで報道された。
そして2004年の第4次開放ではさらに開放が進み、実写版映画の映画館上映、音盤(CD等)販売、ゲーム販売が全面開放された。またビデオでは韓 国の映画館で上映されたものに限っての販売・レンタルが開放された。有料放送(ケーブルテレビ・衛星放送)では、生活情報、教養、日本語歌唱、韓国で映画 館上映された映画の放送が全面開放され(アニメ映画のみ2006年から)、ドラマについては、「12歳以上視聴可」と日韓合作ドラマの放送に限って開放さ れた。
一方、地上波放送での日本文化開放は、「国民への多大な影響」を名目に強い規制があり、日韓合作以外のドラマ(日本の一般ドラマ)、日本人歌手の公 演中継と日本人歌手の韓国国内放送出演以外の日本語歌謡の放送は規制されたままである。また、韓国で映画館上映されていないビデオの販売・レンタル、連続 アニメ番組と娯楽型番組(コメディ・バラエティ・トークショー等)の放送に関しては、有料放送と地上波放送の両方でいまだに規制されたままである。地上波 放送の日本語歌謡の規制については、前述の通り公演中継や韓国国内放送への出演であれば第4次開放で開放されていたが、放送局の自主規制により長らく歌唱 の一部を切り取った録画放送にとどめていた。しかし、2010年9月10日に、事前に放送通信審議委員会を通した上で、SKE48が「2010ソウルドラ マアワード」授賞式で「強き者よ」「青空片想い」を日本語でフルコーラス歌う姿が初めて韓国の地上波テレビで生中継された[178]。
韓国国民は、このような韓国政府による日本の大衆文化の規制の段階的撤廃以外にも、2000年前半から韓国内でインターネットが普及したことによ り、直に日本の大衆文化に触れられるようになった。また著作権を侵害して日本のアニメなどがインターネットにアップロードされることにより、規制をかいく ぐって日本の大衆文化に触れられるようになっている。
韓国社会における日本に対する表現の自主規制
『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』の著者、趙英男
親日的な言論や大衆文化上の表現に対する法的な規制はないが、日常的に行われる扇情的な韓国国内の反日教育と反日報道により韓国国民の反日感情は強 く、親日的な発言をした(と見なされる)人物は、韓国社会から凄まじい弾圧を受ける傾向にあり、様々なメディアで親日的な表現の事実上の自主規制が行われ ている。このような「自主規制」を行わなかった『親日派のための弁明』を書いた金完燮は、国中から猛烈な非難を浴びた上に、名誉毀損と外患煽動の容疑で逮 捕・告訴され、『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』の著者趙英男は番組降板・公開謝罪に追い込まれている。
一方、南北和解の進展に伴い、共産主義的な書籍の発行、共産主義的な言論を規制の対象としてきた「国家保安法」の改正が論議されているが、まだ同法 は実行力をもっており、自主規制のみならず、親北朝鮮的な言論や大衆文化上の表現に対してはさまざまな明文化された規制がある。
韓国による日本の大衆文化の盗作と知的所有権の侵害
韓国では、長年、日本の文化が禁止されていたことを逆手にとって、韓国のドラマ、アニメ、音楽、漫画、ゲーム製作者などが、日本の作品を盗作する ケースがかなり多く見られ、日本の歌を盗作していたアイドル・グループが、盗作していることを暴露されて自殺に追い込まれるという事件もあった。盗作は日 本の菓子などの食品類に至っているケースもあり、日本のテレビ局が韓国にある食品の盗作元に取材した所「たまたま似てしまっただけ」と答えている [179]。これらの盗作に対する韓国司法による司法判断では国際的な基準とかけ離れた日本側に不利な判決が続出し、ありとあらゆる分野で日本の知的所有 権が侵害される事態が発生している[180]。その反面で、日本の出版社が韓流スターの肖像権を侵して提訴されるなどの日本からの知的所有権侵害という珍 しい現象も起きている[181]。
韓国には大衆文化に限らず『日本で成功したものは必ず韓国でも成功する』という神話(ジンクス)があり[182]、特に大衆文化の分野において、実 に様々な日本の事物が直輸入され盗作ともいえる『韓国風』への改装を経て韓国市場に放たれてきた。金大中政権によって「日本文化開放」が提案された折に は、支持の理由として「実現されれば韓国の根深い日本剽窃問題がなくなるから好ましい」との意見を表明する韓国人も多かった[183]。
日本における韓国の大衆文化
一方日本においては、韓国が日本の大衆文化を開放し、日韓ワールドカップが開催されたことから、マスコミが韓国を取り上げることが激増した。 2003年から2004年にNHKが韓国TVドラマ『冬のソナタ』を地上波放送したことをきっかけに、2004年から2005年にかけて民放テレビ局や女 性週刊誌でも頻繁に韓国の芸能情報を報道するようになり、中高年女性を中心として「韓流ブーム」が起きた。しかし、韓国映画の殆どは赤字を記録し [184]2006年以降にブームは急速に失速、2007年に日本で公開された韓国映画112本のうち99本が赤字であり、韓国映画の輸出額は2005年 の3分の1に落ち込んだ[185]。こうした中、新大久保駅乗客転落事故で死亡した韓国人留学生を主人公として描いた映画『あなたを忘れない』が2007 年に公開された。NHK等は公開を前後して「実際にあった美談を描いた映画」として大々的に報道や宣伝を行ったが、映画の内容の多くが事実とは異なる上 に、異常なほど偏狭で非情な日本人と開明的で寛容な韓国人という表現に一貫していたため、特にインターネット上で非難の声が上がった。「韓流スター」の中 では東方神起やBoAが最も成功したといわれ、東京ドームでの講演や紅白歌合戦への参加も行った。2010年以降は日本のテレビメディアがK-POPグ ループとしてKARAや少女時代等の韓国のアイドルグループを頻繁に取り上げられてはいるものの、2011年のフジテレビ騒動やフジテレビ抗議デモなど、 韓流への嫌悪や反発の動きも出てきている。
文化交流の中断
このように日韓間の文化交流は拡大する流れにあるが、政治的問題でたびたび中断・停滞している。たとえば、国交正常化40周年に当たる2005年に は、小泉純一郎首相と盧武鉉大統領との合意の下に「日韓友情年2005」と題し、さまざまな文化交流行事が行われる予定であったが、竹島問題などの政治問 題を発端として、韓国の一部の地方自治体が一方的に行事を中止・延期するケースが発生した。
韓国起源説への注目
また日韓間の人的・経済的交流が広がることによって、歴史や伝統を媒介とした文化交流も始まっているが、近年、特にインターネット上において日韓間 で相違のある歴史認識や伝統文化の取り扱いが問題となっている。たとえば、日韓ワールドカップを境に、韓国や日本のウェブサイト等を介して、韓国側のマス コミ報道や歴史教育や対日世論が日本側に紹介される事例が増えたが、ここで韓国起源説が注目され物議をかもしている。この問題は現実世界にも波及し、 2005年には韓国起源説を大きく取り扱った『マンガ嫌韓流』が日本で出版されベストセラーとなり、韓国でも各種マスコミに報じられた。また韓国起源説の 一つの「コムド起源問題」では全日本剣道連盟[186]及び、全日本剣道連盟配下の国際剣道連盟[187]のウェブページで剽窃問題として正式に取り上げ られるまでに至った。また朝鮮通信使再現パレードや四天王寺ワッソなどの文化交流事業が韓国側に都合の良い歴史観を押し付けるものであり、韓国起源説を助 長させるのではないかという異議が唱えられている[188]。
スポーツ
日韓共同開催となった2002 FIFAワールドカップで使用されたソウルワールドカップ競技場
テコンドー
金妍兒
サッカー・野球・バスケットボールが盛ん。野球においては、1982年に韓国野球委員会が発足しプロ野球がスタート。サッカーにおいては、1983 年にプロリーグであるKリーグが開幕し、バスケットボールにおいては、1996年に韓国バスケットボールリーグ(KBL)が開幕した。特にサッカーと野球 は国民的スポーツの地位を得ていて、国内のビッグゲームや国際大会での国民の熱狂振りは有名である。また国際大会での対戦相手が日本ともなれば、その熱狂 振りの度合いは更に増す。一方で審判に賄賂を渡したりラフプレーの多さ、対戦国への差別的な侮辱など道徳的な問題もよく指摘される。
サッカー
サッカー大韓民国代表は、アジアの中では最多となる8回のFIFAワールドカップへの出場を果たしている。2002年には日本との共同開催という形 で、第17回ワールドカップ開催を実現させている。この大会においては様々な疑惑の判定があったものの[189]、代表チームはオランダ人監督のフース・ ヒディンクの下、イタリアやスペインといった強豪国を破り、過去最高となる4位の成績を収めた。サポーターは「プルグン・アンマ(붉은 악마:赤い悪魔)」と呼ばれ、「テーハンミング(대한민국:大韓民国)」や「オー、ピルスンコリア(오 필승 코리아:オー、必勝コリア) 」といった熱狂的なコールが日本でも注目された。
韓国のサッカーはアジアで高い地位にあったにも関わらず、国内リーグであるKリーグは、かつては企業色の強いクラブが中心のリーグ構成で、運営面や 興行面ではヨーロッパの各国リーグと比べると見劣りしていたが、90年代後半以降はクラブの拡張や移転の政策もあって市民クラブなども増え、運営面や興行 面もかなり改善されてきている。それに加えて、先述の日韓共同開催のサッカーワールドカップに向けての機運の高まりもあり、韓国のサッカー人気にさらに拍 車をかけた。一方で2011年には、現役選手数名が逮捕されるという八百長事件が発生した。
日本のJリーグにおいては、かつてはサンフレッチェ広島などに在籍した盧廷潤を初めとして、洪明甫や安貞桓らが活躍していた。現在でも多くの韓国出 身選手が在籍している。 また京都サンガF.C.でキャリアをスタートさせた朴智星は、2011-12年シーズンまでイングランドプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド FCに所属しプレーした。(2012-13年シーズンからは、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCに所属)
野球
野球大韓民国代表は、2000年のシドニーオリンピックで初のメダルとなる銅メダルを獲得し、2004年のアテネオリンピックへの出場は逃したものの、野球が正式競技種目として最後の大会となった2008年の北京オリンピックでは念願の金メダルを獲得した。
またWBCにおいては、2006年の第1回大会では準決勝で日本に敗れ、2009年の第2回大会では決勝まで進んだが、接戦の末またも日本に敗れ準優勝となった。
国内リーグであるKBOは、90年代後半のアジア通貨危機や、先述の日韓共同開催のサッカーワールドカップに向けての機運が高まっていた影響を受け て低迷を続けていたが、李承燁のホームラン記録への関心の高まりや、WBCや北京オリンピックで好成績を収めたこともあって、再び人気を取り戻しつつあ る。
日本のプロ野球においては、中日ドラゴンズで抑えとして活躍した宣銅烈、千葉ロッテマリーンズ・読売ジャイアンツ・オリックス・バファローズと日本の3球団を渡り歩き活躍した李承燁など、日本でプレーする韓国出身のプロ野球選手はここ数年で徐々に増えてきている。
その他
2000年のシドニーオリンピックから正式競技種目として採用されているテコンドーは国技とされる。また日本の相撲によく似たシルムという格闘技も存在する。
最近は冬のスポーツでも顕著な成績を上げている。中でも2010年のバンクーバーオリンピックにおいては、金妍兒が女子フィギュアスケートで韓国史上初の金メダルを獲得している。またスピードスケートでも、牟太釩を筆頭に金メダル3個・銀メダル2個の快挙を成し遂げた。
祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新正 신정 「新暦(太陽暦)の元日」という意味
12月30日 (旧暦)
1月1日 (旧暦)
1月2日 (旧暦) 旧正月(ソルラル) 구정(설날) 旧正月、こちらの方が韓国で言う正月
3月1日 三一節 삼일절 三・一独立運動が起こった日(1919年)
5月5日 子供の日 어린이 날 日本のこどもの日と同じ日
4月8日 (旧暦) 釈迦誕生日 석가탄신일 日本の「花まつり」に相当
6月6日 顕忠日 현충일 殉国者に敬意を払う日
8月15日 光復節 광복절 日本統治からの解放を祝う日
8月14日 (旧暦)
8月15日 (旧暦)
8月16日 (旧暦) 秋夕(チュソク) 추석 韓国のお盆
10月3日 開天節 개천절 開国記念日(檀君説話に基づく)
12月25日 聖誕節 성탄절 クリスマス
休日が集中していた10月初旬の「国軍の日(국군의 날)」(10月1日)と「ハングルの日(한글날)」(10月9日)は、休日の多さが経済発展に悪影響を及ぼす懸念から1991年より公休日でなくなった。 「植木日(식목일)」(4月5日)は2006年より公休日でなくなった。 「三一節」「制憲節」「光復節」「開天節」「ハングルの日」の5つを「国慶日(국경일)」と呼ぶ。「ハングルの日」は2006年より国慶日となったが、他の4つの国慶日とは異なり公休日ではない。 「制憲節(제헌절)」(7月17日)は2008年より公休日でなくなった。
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